お客さんから、僕のブログの、あるがままと、自分勝手の違いがわからない。。
この質問にお答えしておきます。。
この疑問は当然のことです、。
これは頭ではわからない。。
わからないから人間は、頭でわかりやすい、左右相対的に分けた、善、悪という基準に依存して生きてる訳です。
人間の頭が勝手に作り上げた善悪の基準で生きている。。
実はこれがあるがままでは無いのです。。
何故?
自分の魂という自転車🚴♂️に乗ってないからです。。
あるがままとは、自分の魂。。という自転車に乗った状態で生きる。。という事です。
魂とは、仏の分け御霊です。
つまり、私達の魂は、仏の細胞分裂した一つで、仏と一心同体です。。
魂のままに生きるとは、仏のままに生きるいう事です。。
これを、歴代の宗教者が、一番言いたいところです。。
お釈迦さんの、空即是色。。
イエスキリストの、御心にままに。。
神道の、かんながら(随神)の道。。
全て、あるがままに生きるとは、仏のままに、神のままに、魂という自転車に乗って生きる事。。
そこに、良い事をしよう。。悪い事をしよう。。
あーしなきゃ、こうしなきゃ、こうであらねばならない。。という人為を入れるな。。という事です。
難しいですね?
自分勝手とは、魂という自転車から降りて、何かの為に、人為的な心で、あーしよう、こうしようという欲望の心で生きる事です。。
こう考えると、私達は、殆ど自分勝手に生きているのです。。
何かの為に生きてる。。目標がないと生きられなくなってるんです。
自転車から降りた時点で、自分勝手なのです。
私達は、仏の分霊魂である訳ですが、欲望を抱えた、荒削りな存在です。
だから、魂という自転車に乗っていても、時々欲望が出てくる。。
自転車が走ってはいけない所を、いたずらで走ってみたくなる。。
三角乗りなど、危ない乗り方をしてみたくなる。。
でも、自転車に乗ってる限り、あるがままです。。
子供の無邪気さと似ていますね。
あるがままに起こる欲望は、行動に写して現象化して消すという法則です。。
現象化しないと消えない。。
それが病気でもあるんです。。病気にして消してる。。という事もあるんです。
子供は悪さをしますが、あるがままの悪さです。。
だから、見てて心地良ささえ感じる。。
ペットのいたずらもそうです。。
無邪気が故の悪戯は、許せるでしょ?
人間のあるがままもそうです。
それを良い事と悪い事に分けて生きる事こそ、自分勝手なのです。
自分勝手に生きると必ず、壁にぶつかる様にできています。
ぶつかったら、俺は、あるがままでない心はあったんだなあ。。
どの心だろう。。
と見つめてみるのです。。
僕は最初、これを凄くやりました。。
そうか。。人に自分をよく見せようとしていたのか。。
そうか、人を出し抜こうとしていたのか。。
そうか、何かの為という大義名分がある行動は、実は自分勝手なんだなあ。。
あいだみつおも、人の為とかいて偽と読むんだなあ。。と言ってますね。
あと、為に生きる世界では、あーしよう。。こうしようと、語尾に〜しよう。。がつくのです。
そういうのをヒントに、自分という魂の自転車に乗れるようになってください。。
自転車同様、。一度乗れる様になれば、ずっと乗れます。。
引用をご覧ください。。
かんながら‐の‐みち【随=神の道】
あるがままに乗ってやる悪戯は、消える。。
自転車を降りて人為的にやった悪戯は、潜在意識に刻まれ、輪廻転生を繰り返す。。
だから、私は、まずあるがまま自転車に乗れるようになる事。。
それから湧き出てくる欲望を、実行しながら現象化して消していく。。
これが修行なんです。。