心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

仏教解釈⑦十牛図、悟りの段階。

仏教には、十牛図という、人が悟りに至っていく段階を、牛飼いの子供に例える絵があるんです。。

悟りとは何ですか?、。と聞かれれば、この絵の上に書いてある様に。。

自己に至る事。。

今風に言えば、本当の自分を知る事です。。

 

仏教とは、本当の自分を知るメソッドなのです。。

言い換えれば、私達は、自分を知っている様で知らないのです。。

 

肉体の自分を、または肉体に付随した意識。。自己保存欲(煩悩、欲望)を、自分の心と勘違いして生きている。。

それが原因で、人は迷い、悩み、苦しむのです。

お釈迦さんも言います。。

「皆さんは、逆立ちして生きてるんだよ!。。地に足をつけてごらん、真実が見えるよ」

と、逆立ちしてるとは、魂の全体を忘れ、肉体という枝葉の世界に限定して生きてる。。

という事です。

 

全体を忘れた自分勝手な生き方。。自分の富さえ増えれば幸福、。その分誰かが損して苦しんでいても平気。。

自分の身内、自分の国さえ豊かで平和なら良い。。

同じ地球上で戦争🪖で、死んでいく人たちがいる中で、平気で、海外旅行✈️を楽しめる神経は、まさに自分を知らないのです。

本当の自分とは、自分は肉体ではなく、魂だということを知る事。

 

魂の世界では、私達は手を繋ぎ、一つの命、呼吸として、常に影響し合って、共存している全体の中の個。。であり、個は全体なのです。

一雫の水💦を、海に垂らせば、その一雫の水💦は、即、海全体になるでしょう?

一即多。。自分勝手な独立した個人の世界は無いのです。。

 

だから、本当の自分を知っている人は、違う国で戦争で人が死んでいる時に、海外旅行に行く気などしないはずなんです。

できないでしょう? 人の苦しみは自分の苦しみですから。。

人の喜びは自分の喜び。。

 

しかし、全体を忘れた肉体界限定で生きてる人は、人の喜びを妬む。。

人の不幸は蜜の味👅。。

それは自分を知らないのです。

 

それは、性格が悪く腹黒いのではないのです。。

本当の自分を知らないだけなんです。

 

本当の自分が腹黒い人はいません。。

だから、自分は性格が悪い。。腹黒いんだ。。と、思っている人。。

それは本当のあなたではなく、肉体に付随した枝葉のココロです。。

それは仮の心です。。枝葉のココロです。。現れては消えていく、シャボン玉の様な心です。。

だから禅でも、現れてくる邪心を、追いかけるな!と言います。。

現れては消えていく、シャボン玉を、追いかけなくて良いんです。。

消えていくまま消せば良い。。

すれば魂の心だけが残るのです。

 

肉体的相対世界で生きていく為に必要な、仮の心、欲望でしかない。。

十牛図という絵は、良くできていて。。肉体的な心は、本当の自分では無い。。

と気づき、本当の自分は全体の中の個である。。

つまり、すべてと統一調和しているのだ。。と気づく道です。。

 

分離していた物が調和していく道。。

それは、手ごたえが消える道です。

例えば、水泳🏊‍♀️の得意な人は、水泳が苦手な人より、水の抵抗を感じないはずです。。

💦水と一体、調和しているから、水泳の早い人は、イルカ🐬の様に.波に乗っている様に見えます。。波に🌊押されている様にも見えますよね?

抵抗がないという事は、手ごたえがないという事。。調和してるんです。

 

水泳の下手な人は、波の抵抗で、水面が波打ち、波に抵抗されて、逆に押されている様にも見えます。

これは、波と一体になれていないから。。調和していないんです。

それは、手ごたえがあるという事でしょう?

手ごたえのある人生が楽しい。。

そのココロが実は、不調和なココロなのです。

流水プールを、波に逆らって泳ぐのは楽しい😀ですよね!

手ごたえがあるから。。

でも、他の人に迷惑になってますよ!。。

調和していません。。

これもお釈迦さんがいう、逆立ちをやめなさい。。というのと同じ。。

逆に泳ぐのをやめて、波に乗りなさい。。

波に抵抗せず、波に乗りなさい。。

全体がその波に乗っているのです。一緒に乗りなさい。。

乗れば分かるさ。。

そこに全体の幸福があるのです。。全体の幸福こそ個の幸福であり、個の幸福は、そのまま全体の幸福なのです。

自利利他。。自分の幸福はそのまま他人の幸福です。

 

僕がいつも言う。。自分の為に生きる事が、そのまま他人の為にもなってるような生き方が一番良いんだ。。

他人の為に生きれば、見返りを求め、見返りをよこさない人には怒り💢が芽生え。。見返りをよこさない人の為には行動しなくなる。。

 

十牛図では、本当に自己を知り、つまり、大自然と調和共存し、全体の個として生きている人は、全てと調和しているが故、手ごたえが無い。。

つまり、手ごたえ抵抗ない自然体である人は、目立たない。。という事です。。

実は本当に悟りに近づいて行くほど、目立たなくなる。。普通のおじさんおばさんになるんです。

 

私達はすごい人だと言われたい。。

すごい人だと評価されたいが為に、人より秀でてやろうと無理に頑張る。。

承認欲求に依存する。。

 

すごい人は、目立つ人。

目立つ人とは、手ごたえがある人です。。手ごたえがある人は、抵抗がある人。。

調和しない人です。。

 

つまり、世の中での憧れである。。凄い人とは、調和していない自分勝手な凄い人です。

分かりやすい例で言えば、織田信長と徳川家康。。

どちらが凄いですか。

どちらが目立ちますか?

どちらに惹かれますか?

 

織田信長ですよね?

徳川家康は、目立たない、、すごくない、、地味で魅力がない。。

 

だからこそ、悟りに近い人であった。。

調和した全体の中の個として生きた人です。。

だから、戦争を終わらせる事ができたのです。。

 

徳川家康は、すごい人ではない。。しかし素敵な人なのです。

 

世の中を平和にできるのは、すごい人ではなくて、素敵な人なのです。

すごい人は目立つ人。。素敵な人は目立たない人です。。

自分には存在感が無い。と、悩む人がいますが、それは、凄くないから。。。

でも凄くなくて良いんです。。

素敵であれば。。

 

すごい人は能力のある人です。。

誰でもすごい人になれる訳じゃない。。

しかし素敵💓な人には誰でもなれます。。

本当の自分を知るだけですから。。

 

十牛図の最後の絵は、子供が牛に跨り笛を🪈吹いているのです。。

牛とは、全体の命、全体の呼吸、幸福です。

全体の命の上に跨がれば、即自由自在である。。という絵です。

私達は、幸福をつかもうとします。。

つかもうとすればスルリと逃げてしまう。。

自分の思い通りに牛を🐂動かそうとしても、思い通りにならない。。

牛は動いてくれない。。

でも、乗ってみたら。。

その牛の🐂行く方向は、本当の自分の行きたい方向でもあった。。

そうか。。自分勝手な幸福など無いのだ。。

幸福とは、全体の命の調和の中に生きる事。。そのものであった。。

ただ在る。。

今、ここにただ在る。。それが悟りです。。

本当の自分を知った瞬間です。

 

目立たなくて良い。。有名にならなくて良い。善人にならなくて良い。。

成功者にならなくて良い。。

ただ自分を知れば良い。。

自分を知る事ができれば、すべて解決する。。

迷いはそのままに。。苦しみはそのままに、悟る事ができる。。

苦しみがなくなる訳じゃない。。迷いがなくなる訳じゃ無い。。

しかし、迷い、苦しみに囚われなくなる。。

これを無碍自在と言うのです。

囚われていなければ、それが苦しみでは無いのです。

苦しみに、囚われているから苦しみなのです。

 

それが悟りです生きてる目的。。生かされている目的です。

その本筋を忘れ、自分勝手な成功、幸福を求める。。

キリがないのに。。欲望にきりなし。。

 

それをお釈迦さんは、逆立ちして生きるのをやめなさい。。というのです。