皆さんが、アニメでご存知の一休さんが、村人に出したというなぞなぞ。。
室町時代の禅僧に「一休宗純(いっきゅうそうじゅん)」という方がいました。
「とんちの一休さん」でおなじみの、あの一休さんです。
ある時、旅をしていた一休さん。
村に立ち寄ると、そこで「ぐにゃぐにゃに曲がりくねった松」を見つけます。
一休さんは村人たちを集めて言いました。
「この曲がりくねった松をまっすぐに見たものに、褒美をとらせよう」
それを聞いた村人たち、「やった、褒美がもらえるぞ!」と、
なんとかして曲がった松をまっすぐに見ようと、知恵をしぼります。
片目をつぶって見てみる者、
股の間から顔を出して見てみる者、
寝っ転がって見てみる者、
近づいて見る者、
遠ざかって見る者、
村人たちはさまざまな方法を試しますが、誰一人、松をまっすぐに見ることはできませんでした。
そうこうしていると、大人たちが騒がしいのを聞きつけて、村の子供たちがやってきます。
そして、子供の一人が、曲がりくねった松を指さして言いました。
「うわー、この松、めちゃくちゃ曲がってるね!」
それを聞いた一休さんは、
「見事! これがまっすぐに見るということじゃ」
と、その子供を大いに褒めたそうです。
◇
人間は、つい先入観や思い込みで、物事を考えてしまいます。
そういう「凝り固まった思考にとらわれるな」と、一休さんはこの話で教えてくれているのです。
曲がった松をまっすぐに見ることはできません。
しかし、まっすぐに見ることはできるのです。
思考に惑わされてはいけません。
皆さんも物事を「まっすぐ」に見られるようになりましょう。
それが、仏さまに近づく第一歩になるのです。
引用終わり。。。
善と悪を分たり、健康と病気でわけたり、良い悪いを分たり、基準があるから分けられる。。いわゆる基準思考が、囚われなんです。。
一度身につけてしまったサングラス🕶️。。。
私達は、何重にもサングラスをしているのです。
知らない間に。。
そのサングラスは、基準値と言えるでしょう。。
基準値を再び外していこうという事。。
サングラスを外してみようという事です。。
曲がっている松は曲がっている。。それで良い。。
松の自由です。
ありのままに受け止める。。受け入れる事。。
それこそ、真っ直ぐに見る事です👀。
バカボンのパパの口癖。。「これでいいのだ」は、実は深いんです。
これで良いからこうなのだ。。だからこれで良い。。
この境地が見えてくるのが、悟りの入り口と言える🚪でしょう。。
これじゃいけないと、焦る気持ちは、実は、流水プールを、流れに逆らって泳ぎ、対岸に到達しようとする迷いです。。
今、ここは、これでいいのだ。。から始まるのです。
子供はそうでしょ?
真っ直ぐに見よう。という思考。つまり、最後に〜〜しよう。。と語尾がつく思考は全て迷いです。
これは、20代で整体の勉強を始めた頃、先輩から頂いた言葉です。
今でも、迷い苦しんだ時は、自分の心の中の、〜〜しようを見つけ、手放すのです。
例えば、自分を良く見せようとか。。。自分は、こうであらねばならない。。とか!
皆さんもやると良い。。
何を捨てれば良いかわからないんです!
というお客さんがいます。。
〜〜しようを捨てれば、〜〜〜であらねばならないを捨てれば。。本当はこうしたい。。という魂の声が聴こえてきます。
その声に従うのが一番楽です。
それが自分の波に🌊乗る、波乗りです。
大乗仏教です。。
大きな乗り物。。船に🚢もう一度、皆で乗るのです。