心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

仏教解釈⑥ 何故戦争は起きる

神仏がいるなら、何故戦争が起きるんだ?

戦争が起きる事イコール🟰神仏がいないのだ。。

と、考える人がいるでしょう。。僕自身そう思った事があるので、無理もありません。。

しかし仏教が解ると、この仕組みもわかるんです。。

 

私達は、神とは創造主で、全知全能だと思っています。。

しかしそうじゃありません。。

 

キリスト教やユダヤ教、イスラム教では、一神教。。神は1人で、神以外は神の下僕。。。

神と相対する存在で、全ては神が決める。。

神が裁き、神が罰を与える。。

その罰が怖くて、下僕である人間は、神のご機嫌を取り続ける。。

災害が起きれば、戦争が起きれば、これを神の罰と考える。。

人間が悪さをしたから罰が下るのだ。。。と。。

この恐怖政治が、一神教の発想ですね。。。

だから神に気に入られようと、布教をし、信者を勧誘し、献金をする。。

そうなるともうやめる事ができない。

 

でもね、仏教は、一即多神教です。。。

日本古来の神道でも、八百万の神々。。と言う言い方をします。。

アジアの人の感覚でしょうね。。

 

西洋医学と、東洋医学の違いです。

分離分析したがる西洋思想と、全体で一体で観る、感じようとする東洋思想です。

 

仏教では、一即多神教です。。

仏教でいう神とは、宇宙神の事で、宇宙の法則そのものです。。

宇宙の法則があるから、宇宙はその法則により秩序化し、成長して、代謝しているのです。

 

宇宙神を太陽🌞とした場合、。真ん中が法則そのもの。。太陽の周りで燃えている炎🔥が、守護の神。。

私達が、仏とか如来とか言っている存在です。。お釈迦さんとか、阿弥陀如来とかね。。

 

そして、その太陽光線の一本一本の光線が、私達人間です。。

七色の光線そのままが、実は私達の本性であり、仏性なのです。

決して、一神教の様に、神と下僕という、相対関係ではないのです。

 

人間でも、悟り度(統一度)が増していけば、菩薩や如来へと昇華して、人類の悟りのお手伝いをするのです。

守護霊とか、守護神とか言われる存在です。。

韋駄天とか、梵天、帝釈天と言われる、天がついた存在も、守護の神々です。

仏教では、全ては宇宙神の細胞分裂した存在。。つまり一つの神がそのまま多神である。。

一体であると考えるのです。

神道の八百万の神々の発想に近いですね!

 

つまり、仏教では、一即多神。。言い換えれば、実は全ての人が本来は、神であり仏ですよ。。

という事です。。

 

しかし、地球界の様な、荒い波動の相対物質世界で、霊魂が生きていく場合。。

悟り度が未熟な魂は、肉体次元に必要な道具として与えられた煩悩、欲望に囚われ、一つの命である事、全体の命である、生かされていながらも、自由意志を与えられている、調和の心、慈悲心を忘れてしまうんです。。

大阪に行くと、皆、関西弁を喋る様になる様に。。

肉体次元に染まってしまう。。

それで、地球界に囚われ、肉体に付随した意識である、、自己保存欲。。

有限である肉体次元の富を、人の分まで奪ってでも、自分だけ、あるいは自分の身内だけ豊かにしよう。。

 

それが、我が国という身内の幸福である。。と、相対的幸福感に囚われ略奪を正義としてしまうのです。

これが戦争でしょ?

戦争を起こす心は、全体の心を忘れて、生きる煩悩欲望の世界です。。

 

しかし、何故、神仏がいるのなら、全体の命を忘れない様に、そのまま地球界という物質界で生きられる仕組みにしておいてくれれば、戦争も犯罪も起きなかったじゃないか?

 

そうですよね? 僕もそう思いました。。

でも仏教は奥深いのです。

私達の心臓は🫀自分では動かせない。。止まる事、死ぬ時期も自分では決められないでしょ?

それは、自分以外の法則によって生かされている存在であるという事です、。

これを他力というんです。

他力本願と言って、誤った解釈がなされていますが。。

 

本当の他力とは、お陰様で生かされ、生きている。。ありがとうございます。。という意味です。

尊いのです。。

 

空海さんが残した言葉にも、「俺が俺がの、我ではなく、お陰、お陰の「ゲ」で生きなさい」

と言っています。。

私達は、他力というお陰の力で生かされ生きているのです。。

 

しかも、ここからが本題。。。

「生かされている存在でありながら、自由意志を与えられている存在。。」

これが、仏と一体である存在である証拠であり、仏の慈悲なんです。。

 

私達は、神仏と同じ力を与えられ、同じ自由意思を与えられているのです。

この自由意志とは、選択の自由。。と言い換えましょう。。

 

八百万の神々と言いますが、すべての万物は、仏の一部です。。

しかし、人間だけが、自由意志を与えられているのです。。

この自由意志は、動物や植物、鉱物には与えられていないのです。

動物、植物、鉱物は、生かされているが操られている存在です。。

自由意志は無いのです。

 

つまり、私達人間は、生かされている存在でありながら、動物🐱、植物、鉱物には与えられていない、、創造性、意思選択権。。仏と同じ権利を持つんです。。

つまり操られている存在ではないという慈悲です。。

そこに責任が産まれるんです。。

自分で選び取る責任です。

 

例えるならば、俺の親父は、学生時代から、俺がやりたい事をやれば良いと、、

なんでもやってみなさい。。と。。

それで僕は、仕事を何度も変えた。。それも親父は信じて責めずに待ってくれた。。

それで、僕は、金が良い仕事が良いな🙆。。モテる仕事が良いな🙆。高層ビル🏙️で働きたいな。。

そんな、今となれば、不純な肉体的煩悩で仕事を選んできた。。

でも、結局満足できない。。。仕事を変えても変えても、キリがない、落ち着かない。。

また変えたくなる。。

 

それで結局は、魂の次元で用意されていたであろう。。今の仕事を選び取るのです。満足して納得して、地に足がついているのです。。

2度と揺らがない決断をしたのです。選択したのです。

 

じゃあ、最初から、魂次元で決まっていた、整体という仕事に、今まで無駄に仕事を変えて来た幾つもの会社に、行かずについていた方が良かった?と、思いますか?

遠回りした様で、近道だったのです。

 

急がば回れ。。座右の銘です。

私達は、間違える選択自由意志を与えられているからこそ、真の自分を、ハッキリ選び取れる機会を得るのです。。

そして揺るがないのです。

いきなり、整体の仕事を与えられても、その仕事に価値を感じたかどうかは疑問です。。

実際、一度、整体業から離れて、いろんな仕事をしていました。。

それでこそ、自分が整体師として生きていく事が正しい。。と、解ったのです。

選び取れたのです。

 

僕のいつも言う、自転車🚲理論。。

自転車は転ばなきゃ乗れる様にならない。。

転んだだけ、乗れる様になる。。

 

私達が与えられた、生かされているが、操られているのでは無い。。

選択自由意志が与えられていている事、、それは、間違いなさい。。そして痛い目に遭いなさい。。痛い目に遭ったならば、反省して、欲望そのままではなく、魂そのままの命に転換欲望しなさい。。

生き方を、転ぶたびに、転換して行きなさい。。

入れ替えて行きなさい。。

これが煩悩即菩提。。

煩悩あるがまま、幸福になれる理屈です。

 

それが、確実に、仏の一部である事を確信する、悟りへの道です。。と。。

 

戦争が起きる。。

これは、神の罰でもなんでもない。。

私達の心が、戦争を選択しているのです。。

知らないうちにね。。

その心が現れているのが戦争です。。

 

いやあ俺は戦争反対だよ。。

そうでしょうか? 皆さんは、織田信長が好きではないですか?

かっこいい😎と、思いませんか?

 

その心は、戦争を選択する心と同じです。。

ロシア🇷🇺の人が、プーチンを支持する理由が、日本人が、織田信長に憧れる心と同じだとしたら?

それは、プーチンを支持する心と同じです!

僕は、戦国時代のドラマを英雄化する大河ドラマが大嫌いなんです。。

人を撃ち殺すゲーム🎮好きでしょ?

その心こそ、戦争を選択し、戦争を起こしている事を、日本人は、気づく必要があります。。

歴史は繰り返す。。

気づくまで繰り返す法則です。

 

自由意志を与えられた、仏の一部である人間であるからこそ、自分で気づき、戦争を選択しない心に転換するまで、歴史は繰り返すのです。

戦争を終わらせるのは、神ではなく、私達人間の、選択自由意志の、軌道修正なのです。

私達の心がそのまま戦争なのです。

私達の心に、戦争を好む心がある。。そこに気づくまで戦争は続くのです。

 

私達日本人は、、そろそろ戦国時代への憧れを、止めるべきでしょう。。

徳川家康は偉いね。。と、日本中が思えた時、戦争は無くなるでしょう。。

徳川家康の様な地味な人物こそ、本物だったんだと。。日本人が理解できれば、戦争は消えるでしょう。