心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

仏教解釈 26 自由とは、フリーでは無い

子供の頃、犬🐕を飼っていたのだが。。。

いつも鎖で⛓️繋がれている犬が、気の毒で。。

広いグランドの真ん中で、鎖を外したのです。

犬は、猛烈に走り出し、グランドを走り回りました。。

とても気持ち良さそうです。。

しかし、しばらくすると。。自ら戻ってきて。。僕に、鎖を繋いでくれ。。

という顔をしたんです。。

 

えっ。。どういう事?

自由とは、束縛がフリーになる事ではないんです。。

ストレス、束縛の中にこそ、真の自由が在る。。

これを仏教で、無碍自在(ムゲジザイ)と言います。。

 

これが仏教の奥義と言えるでしょう。。

例えば、会社が嫌で嫌で辞めたくて仕方ない。。

で、やっと辞めれると。。

 

開放感で、やったー自由だ🆓。。

しかし、その開放感は1週間もすると。。逆にストレスとなり。。

またストレスが欲しくなり、、新しい会社を探し出す。。

 

仕事ができる人には仕事が集まる。。

それを、自分だけ、余計に束縛されていて不自由であると。。

自分の自由な時間⏳がないと。。不公平感を感じる。。

会社を変えても、やはり、仕事ができる人には自然と仕事が集まるのです。

これをどう捉えるかです。

 

自分は、貧乏くじを引いた。

毎日そういう気持ちで生きている人がいるでしょう。。

損得で言えば、貧乏くじは、損です。。

 

しかし、貧乏くじを引いた人にしか、無碍自在は理解できないのです。。

無碍自在とは、障りが無いという事です。。

 

束縛されているのに、その束縛を受け入れ、その束縛の中から、真の自由を引き出す。。

お釈迦さんは、泥の中で咲く、ハスの🪷花の上に座っていますよね?

仏像もそうです。。

奈良の大仏もそうでしょ?

ハスの🪷花の上に座っています。。

 

これぞ無碍自在です。

泥の中だから不幸では無い。。

泥の中だからこそ綺麗に咲けるのだ。。

それが煩悩即菩提だ。。

 

綺麗な場所で、綺麗な気持ちになれても、汚い場所で、不自由を感じるなら。。

それは、真の自由を理解していない。。

汚い場所でも、同様に、綺麗に咲ける心こそが、真の自由なのであって、悟りなのです。

 

真の自由とは、〜〜だからと。。条件は無いのです。

環境に左右されない心。。

環境に一喜一憂しない心が有る事に気づいた時。。

あなたは真の自由、2度と失う事の無い自由を手に入れたのです。

貧乏くじを引く人は、元々魂次元が高いのです。

子供に障害がある親御さんもそうです。

親の介護を押し付けた人もそう。。

 

無碍自在に、先に気づいて、それをお裾分けする役割です。

菩薩です。

貧乏くじ。。なんで俺だけ? なんで私だけ?こんな思いを。。

こんな不自由を。。。

違います。。

あなたに無碍自在を理解して欲しくて。。

貧乏くじの中にこそ、真の自由が在る。。と、気づく役割があるのです。

 

でいちゅうのはす 蓮(はす)の花は泥の中でも美しい花を咲かせているという意味から、転じて、煩悩の中にあっても清らかに身を保っている人をたとえていう。 また、世の中の汚濁に染まらないで清く生きている人をたとえていう