子供の頃、犬🐕を飼っていたのだが。。。
いつも鎖で⛓️繋がれている犬が、気の毒で。。
広いグランドの真ん中で、鎖を外したのです。
犬は、猛烈に走り出し、グランドを走り回りました。。
とても気持ち良さそうです。。
しかし、しばらくすると。。自ら戻ってきて。。僕に、鎖を繋いでくれ。。
という顔をしたんです。。
えっ。。どういう事?
自由とは、束縛がフリーになる事ではないんです。。
ストレス、束縛の中にこそ、真の自由が在る。。
これを仏教で、無碍自在(ムゲジザイ)と言います。。
これが仏教の奥義と言えるでしょう。。
例えば、会社が嫌で嫌で辞めたくて仕方ない。。
で、やっと辞めれると。。
開放感で、やったー自由だ🆓。。
しかし、その開放感は1週間もすると。。逆にストレスとなり。。
またストレスが欲しくなり、、新しい会社を探し出す。。
仕事ができる人には仕事が集まる。。
それを、自分だけ、余計に束縛されていて不自由であると。。
自分の自由な時間⏳がないと。。不公平感を感じる。。
会社を変えても、やはり、仕事ができる人には自然と仕事が集まるのです。
これをどう捉えるかです。
自分は、貧乏くじを引いた。
毎日そういう気持ちで生きている人がいるでしょう。。
損得で言えば、貧乏くじは、損です。。
しかし、貧乏くじを引いた人にしか、無碍自在は理解できないのです。。
無碍自在とは、障りが無いという事です。。
束縛されているのに、その束縛を受け入れ、その束縛の中から、真の自由を引き出す。。
お釈迦さんは、泥の中で咲く、ハスの🪷花の上に座っていますよね?
仏像もそうです。。
奈良の大仏もそうでしょ?
ハスの🪷花の上に座っています。。
これぞ無碍自在です。
泥の中だから不幸では無い。。
泥の中だからこそ綺麗に咲けるのだ。。
それが煩悩即菩提だ。。
綺麗な場所で、綺麗な気持ちになれても、汚い場所で、不自由を感じるなら。。
それは、真の自由を理解していない。。
汚い場所でも、同様に、綺麗に咲ける心こそが、真の自由なのであって、悟りなのです。
真の自由とは、〜〜だからと。。条件は無いのです。
環境に左右されない心。。
環境に一喜一憂しない心が有る事に気づいた時。。
あなたは真の自由、2度と失う事の無い自由を手に入れたのです。
貧乏くじを引く人は、元々魂次元が高いのです。
子供に障害がある親御さんもそうです。
親の介護を押し付けられた人もそう。。
無碍自在に、先に気づいて、それをお裾分けする役割です。
菩薩です。
貧乏くじ。。なんで俺だけ? なんで私だけ?こんな思いを。。
こんな不自由を。。。
違います。。
あなたに無碍自在を理解して欲しくて。。
貧乏くじの中にこそ、真の自由が在る。。と、気づく役割があるのです。
でいちゅうのはす 蓮(はす)の花は泥の中でも美しい花を咲かせているという意味から、転じて、煩悩の中にあっても清らかに身を保っている人をたとえていう。 また、世の中の汚濁に染まらないで清く生きている人をたとえていう