一般的に、心と言うと、丸を描いて、半分が善の心 半分が悪の心
と思われています。
キリスト教関連の方々もそう思っとられる方。。多いと思います。
それは間違った解釈なので、囚われを生み、偽善を生みます。
仏教で、色即是空、空即是色 と言う言葉、意味は分からなくても、聞いた事あると思います。
仏教では心を、ドーナツ型で🍩見ていきます。
茶色い食べれるところが、色が付いてるから 色です。
真ん中の何もない穴の部分が、空です。
ダイソンの扇風機を思い浮かべてみましょう。
真ん中の穴から、風が出てきて不思議ですね。
心も穴の中から、生かされているがままの心がいつも吹き込んでいるのだと思ってください。
実はそちらの心がこそ、本当の自分だと言う事です。
これは大事なことで、この事がわからないと、その先が解けてきません。
ドーナツの周りの食べれる部分、を半分に分け、善と悪に分けて考えるのは、目に見える物だけが存在すると言う、思い込み、勘違いからできた、肉体に付随する意識。。
つまり物事に基準を立て、相対的に物事を分析、解釈しようとする癖です。
つまりコロコロ変わるココロ です。本当の心はコロコロ変わらない。。空から吹き込んでくる心。。。不動心です。
色の心は求める心
空の心は受け入れる心です。
受け入れている心と言った方が正確でしょう。そこには目に見える基準。。都合がない世界です。裏表のない世界。。だから絶対世界と言います。
弱い心と強い心があるのではありません
心を鍛えるのでもありません。色の心は、太陽の前を通り過ぎる雲です。
色の心を自分だと言う思い込みが、迷い、苦しみを創っています。
それを手放せばいいだけです。
本物は空の中 太陽があります。太陽光線の一本一本が私たち。。つまり一つの存在です。他人のいない、比較のない心がある。
それに気づいていく道。。それに必要な体験として、病気や迷いがある。