親鸞さんといえば、誰でも名前は聞いたことがあると思います。
直訳すると、いい人でも救われるんだから、悪い人が救われない訳がない。
変ですねー。。逆じゃないのかなあ?。。間違えて印刷されているのかなあ?
と思いましたよ。最初はね。
いろんな解釈がありますが、私の解釈はこうです。
親鸞さんといえば、最初に妻を持った僧であり、法然さんの念仏の教えを、拡散した
大功労者です。自力という自分の人間力で、何行苦行をして悟ろうとしていた仏教を間違いとし、人間が作った業を、人間が消す事はできない。
ならば、阿弥陀様の光によって消していただこう。。いや常に消していただいているのであり、それに気づかず、私たちは、自分勝手に、自分の努力によって悟ろうとしている。それは迷いである。
氷で氷は溶かせないが、氷は水蒸気では溶かせる
阿弥陀様の光は水蒸気。。いつでも溶かそうと夜も寝ずに、人間の業を溶かそうと働いている阿弥陀様に、気づき、気づいたら、お任せし、邪魔しませんと。。宣言します。
いつもありがとうございます。。これが南無阿弥陀です。
けして、死んだら浄土に生まれさせてください。。という お願い事ではないのですね。そういう風に誤解されて、密教や禅に比べ、低い教えと、思われているのが現状です。でも五木寛之がそうである様に、本当に仏教が分かってくると、他力仏教は、一番高い教えだと分かってきます。
つまり悪人正機説とは、良い人とは、自分で自分の努力によって、人生を切り開く事ができるし、悟る事もできる。。そもそも自分は優秀な人間であって念仏などいらない。。という大勘違いをしてるレベルより、悪い人、、俺はダメだなあ。。ダメな人間だな。。でも自分ではどうしようもないんだよなあ。わかっちゃいるけど辞められないんだよなあ。。
という、自分では、どうしようもない。。という 明らめの境地の方が、謙虚であり、他力、阿弥陀様のお力を素直に受け入れる事ができる。。
そういう人は幸いである。。という事。
ということだと思います。