心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

意識される世界は氷山の一角

1日の中で、意識された事だけが、今日の出来事の様に思いがちですが、その意識された事が、記憶に残ります。

小さい頃の記憶があまりないのは、まだ自己意識が、確立していないから、無心、無邪気の状態では、記憶に残りません。

過去の、いい思い出も、嫌な思い出も、意識されたものとして、記憶に残っています。

トラウマなどもそうです。

 

寝てる時間の記憶もありませんね!

寝てる時間は無心だからです。

また、今日の出来事。。例えば腰が痛かったとしましょう。

でも、逆に腰が痛かった以外は、意識に上がってくる事もなく、心臓は動き、胃腸は動き、歩いたり、トイレで、小便や大便をしたはずなのに、その事は、思い出しません。

 

今日1日のほとんどは、無意識のうちに、運行されていて、当たり前すぎて記憶に残らないのです。

当たり前すぎる事。。宇宙の法則に則り、調和した働きをしているものは、意識に上がってきてません。だから無いと思ってしまう。

 

意識に上がってきた、氷山の一角は、宇宙の運行と、不調和なものだけです。

どこかが痛い。。という  のは、身体の調和がうまく行ってない部分です。

それ以外のほとんどの部分は、生命の奇跡として調和しています。

意識に上がってきた事だけが、在ると思えば、不満ばかりになるのです。

身体に対して、いつも不満を言っていませんか?

何十年も、目が見えたり、聞こえたり、歩けたりする奇跡の方はどうですか?

 

それが人生の縮図ですね。

大病したりして、当たり前が、こんなにありがたい事だと、分かりました。。言います。いつもは当たり前すぎて、意識されない世界にこそ、ありがたさがあった。。と気づく瞬間です。そこに気づく為に、人ば病気するとも言えるのです。

見えない世界、意識されない世界こそ、生かされている奇跡なのです。

意識される事は、不調和な出来事。。ほんの一部です。

氷山の一角です。

そこだけに囚われれば、人生は不満ばかりになってしまいますね。

部分で、見れば、被害者となり、全体で見れば、ありがとうになる。。

木を見て森を見ずですね。

 

本当の生きる快感、幸福というのは、意識に上がってこない時間にこそ在るとも言えるのです。

昔は良かったなあ。。楽しかったなあ。。という記憶も、その楽しさは、行き過ぎの楽しさだったのです。興奮と言ってもいい。。だから、それが囚われとなり、今がおもしろくない。。と感じてしまう。

先日、テレビを見ていたら、世界最高齢のおばあちゃんが、「いつが一番楽しかったですか?」と聞かれて、今 と言っていました。

常に今が一番いい。。と思える心境は、調和しています。