心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

障害者は役に立たない?

障害者は、役に立たないから殺した方がいい。。今でも、若者はその考え方を変えていない様ですね。。

彼の中では正義感でもあるのだと思います。

そして、今までいろんな人が面会したのでしょうが、未だに彼にその考え方が間違っていると説得し、納得させる話ができた人がいなかった。。という現実にも問題があるでしょう。。面会の人も解ってないという事です。

障害者は役に立たない。。だからいない方がいい。。

この理屈に対して、どういう話ができますか? 通り一遍の綺麗事以外、言葉が見つからないと思います。。

 

それは、私たちも同様に、目に見える世界で、目に見える形で役に立つ事が、評価される事であり、目立つ事であると思っているからです。。目に見える世界で役に立つ行動を取らないと、存在感を示せない。。評価されない。。という不安の中で、評価されない、役に立たない人間だと思われたくない不安から逃れる様に頑張り続ける毎日でもある。。働かざる者食うべからず。。という言葉に追われるように頑張る訳です。。

彼もその一人であった。。と推測できます。。

私達の心の中にもある物です。。

俺は役に立っているのか? 評価されているのか? 生きてていい人間なのか?

という疑問を自分にも向けていたのではないでしょうか。

 

仏教にはその答えがあります。。それを例え話を入れながら出来るだけわかりやすく説明してみます。。

以前、目に見える世界、意識できる世界は氷山の一角。。という  ブログを書きました。

人間は目に見える世界しか、見えないし、意識できない。。だからその世界しか無いと勘違いしてしまう。。

しかし、海の中では、バラバラに見える氷山も、一つに繋がっている。。

呼吸を一つにした一つの存在です。。

つまりは、自分は全体であり、全体は自分であり、他人はいないのですね。。

 

人間には業があり、人類の業があります。。

業とは、生かされてる自分と、肉体に付随した意識とのズレです。。

 

生かされてる自分が宇宙の法則と一体の自分で、私達は一つの存在だと知っている自分です。。

肉体に付随した意識とは、目に見える物だけをすべて。。と思ってしまい、そこに囚われている自分です。。自分と他人がいる世界。。だから役に立つ人と、役に立たない人がいる。。という誤解です。だから役に立つ。。評価されたい。。優れた人間だと思われたい。という思いが生まれるんです。ほとんどの人が、こちらを自分の心だと思っていて、生かされてる方の自分を覆い隠している。。そのズレが業です

 

障害のある人もない人も、自分の一部です。。そして、自分の業を捨てる事よりも、人類の業を捨てる。。という役割を果たしているのが、障害のある人です。。

 

業というのは、一度目に見える世界に現さないと消えない。。という法則です。。

 

逆に言えば、人類の業を、人類皆兄弟の中の誰かが、自分の身体を通して現してくれれば、消えるのです。重い病気を持った人。。障害を持って生まれた人は、魂レベルでは、高い人です。。人類の業を消す、イエスキリストの様な仕事をしているのです。。

決して、前世で悪い事した人が障害者として生まれているのではありません。。

罰と言うのは人間が考えた世界で、本当は罰を与える神、仏などいません。。

 

すべて業が消えていく姿です。。消えた分、生かされてる自分が大きくなります。

皮肉な事に、大罪人と言われる人でさえ、人類の業を現して消そうとしている姿なのです。。

本人はそのつもりはもちろん無いのですが、全体としてはそういう役割でやってるのです。そういう意味ではマイナスの菩薩という言い方ができます。。

 

ですから、健常者の人達は、障害のある人に対して、私の代わりに、いや私達の代表として、人類の業を現しては消してくれている菩薩さんなんだ。。思えば、どうですか?

世の中に、こんなに役に立ってる人はいないではないですよね!

 

目に見えない世界から、目に見える世界を眺めないと、全体が解らない。。見えない。。だから、経済成長に加われない人間は必要ない人、、という思考になるのです。。経済なんて目に見える世界の出来事でしかない。

 

全体で見れば、必要のない人などいない。。全ての人が、人類の業を捨てる事に、加わっているのです。。曇りを払った分だけ太陽が見えてくる理屈です。。

天災も含め、天災で亡くなった人も、人類の業を消してくれた菩薩さんです。。

可哀想だと思うのは失礼です。。

ありがとうございます。。なのです

残った人が、そういう深い理解で送ってやれば、亡くなった人は成仏できるのです。。

人類全体の次元が上がるのです。もちろん亡くなった人の次元もです。。

肉眼で見た犠牲者も罪悪人も、全体でみれば菩薩であるという事です。自分を活かし、全体を活かす。。これをしてるのです。

 

よく神様が本当にいるなら、天災で亡くなる人などいないはずだし、病気や犯罪もないはずだ。。と宗教を拒否する人がいますがこれはやはり目に見える世界だけに囚われているのです。。全体でみれば、どうしても必要な事を、出来るだけ負担ないように起こしているのが神仏の慈悲です。

 

また、彼も、見える世界では殺人者、大悪人ですが、見えない世界では、私達の誰の中にもある心。。役に立たない奴はいらない。。という誤った思考を、代表して現して捨てようとした姿とも言えるわけです。。マイナスの菩薩です。

それを私達が反省して、理解する事なんです。。自分の事として。

彼を罪悪人にして終わりではありません。。

彼も私達の一部ですから。

 

いい人と悪い人がいるのではなくて、テレビで大犯罪を犯す人の心は、私たちの心の一部を拡大した心だと見るべきです。。

テレビを見た一億人が、自分の事だと反省してこそ、人類の業が消えるのです。。

他人事で終われば、また同じ事件が起きるのです。。