期待してるよ! と言われるとうれしいものです。。最初はです。
何か評価されている気がするのです。。
そして、期待してる人の思いを裏切らないように頑張ろうとします。。
オリンピックのメダルなんかは特にそうですね。。
期待するとは、自分の思いを、他人が実現してくれる事によって感情移入しようとする行為です。。そして期待されて頑張る、。結果を出そうとする行為も、評価してくれる人の思いに答えてあげたい。。と、同時に、期待を評価を失いたくないから、結果を出さないといけない。。というプレッシャーでもあり、オリンピックの選手レベルになると、恐怖に近い感覚なのだろうと推測します。。
これは、期待する方も、期待される方も、お互いが他人に依存している状態です。。
依存しあう関係とは、近すぎる間合いです。。付き合い始めた恋人同士の関係です。。
最初は、ものすごくお互いが高揚し、幸福感に満たされる。。
お互いがお互いの思い、期待に応え合う形でバランスしているからです。
しかし、近すぎる関係は、時間が経つとともに、期待に応え合うバランスが崩れて、裏切られた。。関係になり、逆に喧嘩が絶えない関係となる。。
近すぎる間合いは、思いきり仲が良くなるか、思いきり仲が悪くなるかのどちらかです。。適性な間合いを取るとは、過度な期待をしない、求めないという関係です。
そういうカップルは長続きします。
恋人同士が別れる理由を聞くと、裏切られた。。とい答えが返ってきます。
これは、裏切られる前に、過度に他人に期待しすぎた。。他人に期待した事を、それに応えてもらう事で、幸福感を得ようとしていた。。。依存していた。。という事なんです。。
だから、いつまでも続く関係ではありません。。
いつまでも、他人が自分の期待に応え続ける事は不可能です。。
みんな本当は自分の事で精一杯なのですから。
過度な期待をすれば、裏切られる。。これは当然ですね。
もっと深い意味で言えば、裏切らせたのです。。裏切られる事により、他人に過度な期待をして、それに応えてもらおうとする依存心に気づき、自分の幸福は、自分の中にあるよ。。を知りなさい。。という メッセージです。
私が最初についた師匠も、カリスマ性が凄くて、最初は生涯この先生のそばにいたい。。と思っていました。。そう思っていた人が多かった。。
しかし、法則とは厳しいもので、だんだんこの先生の言動、行動がおかしいなあ!
と思い始めました。。
これは、有名になると、持ち上げられ、期待され、それに応えてあげないといけない。。と、自分の行動を周りの期待に合わせ始める
いや応え続けないと、こんなに増えた弟子達が、離れて行ってしまうんじゃないか?
周りには、イエスマンが集まり、師匠を持ち上げ、殿に仕立て上げる。。
そんな中で、自分を見失なう。。
弟子の多くが、師匠には裏切られた。。と、離れていく始末。。
しかし、何故離れていくのか理解できない。。
怖くなって、取り巻きのイエスマンだけは、残そうと、最後はイエスマンの期待に合わせて生きるようになり、完全に自分を見失なう。。
大きな組織は大体こうなっていますね!
過度に期待することも、また過度に期待に応えようとする事も、自分を見失うのです。
この現象を、仲の良かった先輩と、何が起きているのか?。。話をしていました。。
そして、こういうことなのだろうと、お互いが納得しました。
「師匠がいつまで経っても、カリスマであり、絶対的な存在であったとしたら、多くの弟子達は、依存し続けるだろう。師匠の元にいれば、いい事があるし、仕事もしやすい。独立しても、師匠の名前で、お客さんが来るし。。
師匠の弟子だというだけで、一目置かれて、偉い気分を味わえるなど。。
だから、私達弟子が、独立心を持って、自分でやっていこうと決断するには、師匠がおかしくなる。。という 事でもなければ決断できない。。
だから、これは師匠や、取り巻きのイエスマンの問題ではなく、法則が、全体のバランスを取る為に、カリスマ的、絶対的存在を創らない。。事により、弟子達の自立を促されているんじゃないか?」
絶対的カリスマが、割と短命で亡くなるのもそういうバランスが働いているのだと思います。。新旧交代です。。
だからこれでいいんだな。。これでいい事が起きているだけなんだ。
じゃあ、俺たちもその準備をしよう。。自分でやっていく決断をしよう。
期待したり、裏切られたりする次元から、出ていこう。。
それを促されてるんだ。。
結局全てが、自分が何に気づき、行動を修正するか。。につきるのであって、人の批判で終わらせてはならない。。という事でしょう。。
全ては自分のこと。他人事と思えば悪口で終わります。批判で終わります。
それでは、気づきがありません。。つまりは成長がないのです。