先に、依存症は中毒。。というブログを先に読んでください。
かなり難しい話をします。
何故、人は自分を信じられないのでしょうか?
自分の中に、自分の航海に必要な、羅針盤が生まれながらに、備えられているのに、それに気づいていないのです。。
その羅針盤に従って生きていく事ほど、確実な道はないのです。。
無邪気な子供の頃は、ある程度、羅針盤にしたがって生きています。。邪気が少ないからです。
ただ、10歳ぐらいになると、他人と自分の優劣、違いに気づき始め、自己意識が芽生えてきます。
自己意識とは、他人に自分がどう見られているか。。どう見られたいか。。
要は、自分を大きく見せようとする意識、欲望の心です。。
ただ、この欲望の心は、羅針盤とは違うのです。
羅針盤の補助として働く心です。
肉体次元で生きるには、どうしても、肉体的本能、欲望も必要だからです。
羅針盤の補助として、欲望を使う場合は問題がありません。。
羅針盤に、従属する形で、欲望しますので、調和は乱さないのです。。
この状態が、肉体を持ちながら悟るという事です。。
しかし、多くの場合。
人は、自己意識が強くなると、目に見える世界、情報に囚われすぎて、自分のあるがまま羅針盤の存在を忘れてしまうのです。。
そこで、羅針盤の支配を離れた、欲望の心を、自分の羅針盤だと、勘違いしてしまうのです。
それは、調和を乱す、まさに欲望なので、自分さえ良ければいい心です。
横取り合戦が始まります。
それで、自分の欲望に従って生きて見たら、とんでも無く痛い思いをした。。
自分の欲望に従うと、痛い目に遭う。
不幸になる。。自分の心は信じられない。
ならば、何に従えばいいのか?何を信じたらいいのか?
そこで、人は、自分の外側に、方向性を示してくれる存在。。教えを探すのです。。
カリスマを探すのです。
僕の場合も、大学生ぐらいからそれが始まり、自分の外に、絶対基準を探しました。。
宗教団体に所属したり、著名な霊能者に逢いに行ったりしました。。しかし納得できませんでした。
女性の場合。占いにハマるのもそうです。。
自分を信じられないから、自分の外に自分の方向性を示してくれる学問を置いておく。。
または、団体、教祖に依存し、感情移入する。これが、不安解消に働くのです。。
ただ、本当の羅針盤は、欲望の心ではないのです。。
20代後半で出会った師匠に、
「自分の羅針盤は自分の中にあり、それは、毎日の経験を、受け入れて生きていけば、元々ある羅針盤に、もう一度出会える様に、運命は仕組まれている。。
だから、自分の外に、カリスマを見つけるのが大事では無く、毎日、自分に降りかかる予期せぬ出来事に向き合い、受け入れ、理解する。。その繰り返しが大事だ。。」
自転車の例で🚴♀️お話ししたように、転びながら乗れるようになる。。
転ばないと乗れないのが自転車です。
欲望で生きると、転ぶ。それを身体で理解する事が大事なのです。
それを何故、転んだのかを、素直に受け止め、理解する。。
それを繰り返す事で、欲望で生きる事がなくなっていく。。転ばなくなってくる。
自転車に乗れるようになった時は、羅針盤で生きられる様になった事です。
ですから、欲望で生きる。という過程も、大事な経験だという事です。
エジソンが、失敗は、こうするとうまくいかない発見だと言いました。。
失敗を発見していけば、最後に成功が残る。。羅針盤が残る。。それに従うのです。
運命とは、一度欲望で生きさせて、その過程の中で、本当の自分を知る過程です。。
欲望即菩提です。。欲望も病気も必要だから起きているのです。
欲望を利用して悟るのです。
だから、自分に都合のいい運命に変えようとするのは間違いなんです。
運命は受け入れる物です。。自分が必要があって呼び込んでいるのですから。。受け入れるからこそ、運命は変わるのです。
都合とは、欲望の心の概念で、羅針盤にはないのです。
羅針盤を知るには、都合を捨てていく事です。
都合という概念が、分断を生み、苦しみ、不安を生んでいるのですから。