心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

根拠のない自信こそ、本物

私は若い頃からよく言われたのです。。「なんで、そんなにいつも自信たっぷりなの?  なんの根拠があってそんなに自信があるの?」

 

言い方を変えれば、周りの人から見ると、私がいつも自信たっぷりで、発言し、行動する事に、違和感を感じていたのでしょう。。根拠がないのに、いつも自信たっぷりなのが、おかしいと思うのでしょう。。根拠のない奴は、自信を持つな。。という事でしょう。

 

私が、何か目に見える実績はないからでしょうか? 逆にいえば、何か目に見える形で、他の人より優れている。という実績がない人は、自信を持つ権利がないのでしょうか?また実績がある人の言葉はいつも正しいでしょうか?

 

世の中の自信とはそういうものですよね?

 

自分に自信が持てない。。と悩む人も、言い換えれば、私は他の人に比べて優れているという証明ができない。。実績がないから、自信があるなんて、おこがましくて言えない。。という事でしょうか?

そういう自信は、株と同じで、儲ける人がいれば、必ず損する人がいる世界の自信です

相対的自信です。。自信の奪い合い、横取り合戦です。そんな自信は、自分より優れた人が現れた瞬間に消える自信です。

実は、そういう自信の方が、不安定な自信なのです。。

スランプに陥ったりするのも、そういう不安定な自信の上に立っているからです。。

結果が出なくなると、自信が揺らいで平常心でいられないのです。。

 

本当の自信とは、自分を信じて生きていけば大丈夫だ。。という覚悟が決まる事です。

 

私は、若い頃から、自分を信じて生きていけば良い。。生きているから大丈夫。。という自信があったのですね。。その自信に根拠などいらないのです。。

生かされているがままに生きているのだから、それ以上も、それ以下もない。

そこに打算も無用なのです。与えられた命、持ち味を活かして生きていければいい。。

 

だからこれでいいのだ。。という自信です。

無い物ねだりしたり、評価されようとして、自分でない自分を演じない事です。。

 

これじゃいけない。。より、これでいいのだ。。と一度、今を肯定してみるのです。。

すると、自分がどう生かされているのか見えてきます。。今を否定して、これじゃいけないと、頑張りすぎると、自分がどう生かされているのかが見えなくなります。

 

今、在る自分の姿、環境は、偶然の今ではないのです。。今、こう在る事が必要で在る今。。です。例えれば、削り途中の観音像です。。削る途中の観音像を、未完成でみっともないから、今を否定し、別の綺麗なものになろうとして頑張ってしまうのです。

 

今。。は否定するものではなく、受け入れるものです。

自分に降りかかる予期せぬ出来事は、彫刻刀のひと削りなのです。

受け入れる度に、一度削られるのです。。それを繰り返せば、観音像が現れるのです。。

大病した子供の、落ち着き。。驚きます。。大きく今を受け入れた時、大きく削られるのです。。

 

どう生かされているのかが、見えてくれば、自分の行く道も、自信を持って生きていけるようになるのです。

 

能力がないから、自信が無い。。という人。。能力は関係ないですよ!

生かされているがまま生きることが自信です。。

それが、一番、周りの人も、元気にする生き方です。

笑顔が移るように、あくびが移るように、自信も移っていくのです。。

池に、石を投げた時の波紋の様に、自信は、周りの人にも波及していく自信でなくては。。横取りしあう自信では、平和が訪れない。。横取りでない根拠のない自信こそ、本物。。

誰でも自信を持っていいのです。。持っているのです。