コンビニで、入り口を入ろうとした時、店の中から、お客さんがちょうど出てきて、正面で向き合い。。右にも左にも動けず、フリーズした経験は、誰でもあるでしょう。。
真正面に向き合いすぎると、相手を意識しすぎて、無心の動きが出ないのです。。
しかし、ちょっとでも真正面からずれていれば、無心で、どちらかに避けることができます。
当院に来た事がある人も、私が真正面に立った事が無い。。事をお解りでしょう。。
真正面から、少しずれた位置から、アプローチしています。。
私自身、お客さんの真正面に立つと、意識しすぎて、大脳意識が優先して、興奮してしまう為、無心の検査、、無心の施術ができなくなる。。
お客さんも、正面に立たれると、緊張します。
少しずれた位置からの方が、繋がりが持てるのです。。
解りやすい例で言えば、初デートで、真正面に座られるのと、横に座られるのは、どちらが楽ですか? 話しやすいですか? 繋がりやすいですか?
横ですね。。向き合い過ぎると、繋がりがきれてしまうのです。意識が邪魔するのです。
意識してしまう位置に立たない。。座らない方がいいのです。。
ホヤホヤカップルだけは、正面に立てます。。興奮したい時期ですから。。
昔の人は、正面から向き合わない事を、逃げてる。。と、思ったのでしょう。。
僕流の向き合う。。と言うことは、環境と繋がりを持てず、不自由な思いをしてる時に、どうすれば繋がれるのか? 繋がれない、邪魔してるものはなんなのか? を知る。。と言うことです。。
それには、真正面に向き合ってしまっては、興奮して、敵対し、戦ってしまうのです。。
どうですか? 知らない人が、真正面に立って、じっと、見てきたら喧嘩が始まりませんか?
何ガン飛ばしてんだよ!って。。
一番リラックスできる向き合い方をすれば良い。。
それが一番、繋がれるのです。。
喧嘩した後の、仲直りの話し合いも、真正面に座らず、横、もしくは、正面からずれた正面に座りましょう。。
どんな困難に対しても、真正面で向き合えば、例えば、コロナウイルスと、戦う。。という発想になります。。
闘うのではなく、人類と、感染症が、どう付き合っていくのが正解なのか?
どう関わっていくのがいいのか?を、勉強しないといけないのです。。
向き合うとは、闘うことじゃない。。
むしろ、調和する方法を学ぶ事です。。
病気と闘う? これもそうですね。 必要があって病気になっているのですから、病気と闘うのではなくて、病気とどう付き合えばいいのか? 病気という環境を通して、何に気付かせようとしてくれているのか?
アトピーが治った人の動画を見ていると、治り始めるきっかけとして、アトピーである自分を
受け入れた。。という人が多い。。アトピーは敵ではない。。自分の一部です。。
自分しか、認めてあげられないのです。アトピーを通して成長する過程です。結果ではないのです。
関取の安美錦が、引退会見で、怪我がちだった事を、むしろありがたく、仲間の様に思えた。。と言っていました。。
怪我があったから、ここまで長くやれたし、相撲と向き合えた。。と。
そういう向き合い方。。敵対でなく、調和。。そういう向き合い方です。
人生の困難は、敵では無いのです。人間の幅を拡げてくれるヒントです。
その困難との調和の仕方を、学ばせてくれているのです。。仲間です。相棒です。同士です。
なかなかそうは思えないですがね!
困難を困難で無いと、感じられた時に、幅が拡がる訳です。。
治りにくい症状が変化し始めるきっかけに、このメンタルの変化があります。
受験でも、よく、解きやすい問題からやりなさい。。と言われました。。
でも、難しい難題を、真正面から向き合い。。戦ってしまうのです。。
答案用紙は敵じゃない。。調和するには、解きやすい問題からやっていくのが正解です。。
しかし、人間の煩悩は、戦いたいのです。。興奮したいのです。。
張り合い。。やってる感がありますから。。
筋トレもそうですね。。
バーベルと戦ってますよね? やってる感が、興奮となり、大脳の快感となります。
テレビを見れば、ウイルスという敵と、どう闘うか?
という見方しか無い。。テレビの限界です。奥深い話はテレビでは無理です。
でも、長い人類の歴史で、感染症はずっとある訳ですから。。
きっと、奥深い世界では、共存しているのだろう。。
必要があって、時々、感染が起きるのだろうと思うのです。。
例えば、必要な感染すら拒否する、予防接種なんかも、ウイルスとの共存バランスを崩しているのかもしれません。。
その崩れたバランスを取り戻すのに、必要な出来事なのかもしれません。
地震や台風の様な災害と同じですね。。