①から見てください。
では本題です、。
どうすれば無心に戻れるんですか? 意識を外せるんですか?
解りやすい例は、夜の睡眠時です。。
寝れると言うことは、無心になれるという事でしょ?
熟睡時は無心です。赤ちゃんと同じです。
しかし、大人になると不眠症になる。
何故不眠症になるか? それは他人目線で意識的思考優先で生きている為、脳がいつも緊張して、興奮状態なんです。それを、簡単には脱力できない身体、脳になってるんです。
だから無心になれない。。寝れない。
それで夜、横になっても、脳の緊張、興奮が抜けず、脱力しないため、副交感神経に移行せず、寝れない。。
そんな時、皆さんはどうしますか?
寝よう寝ようとするでしょう?
で、寝れますか? 余計寝れなくなる。何故なら、語尾に〜〜しよう。。とつくのは全部意識なんです。。つまり自分で自分をコントロールして寝かせようとする。他人目線でしょ?
だから寝よう寝ようと思うと、余計意識的になり、興奮して寝れないんです。
これは、禅体験、護摩業体験に於いても、素人が、にわかに、仏教の修行体験する時に、陥りやすいのです。
座禅で座って、間違えた座り方をしているのに、心だけ無心になろうとする。。なれる訳ないんです。無心になろうとする心こそ力みですから。。
禅は、座り方が大事なんです。。道元禅師も言っています。。
仏と同じ位置に同じ格好で座る。。それが禅です。。
すると、仏の呼吸と共鳴し、邪気が発散され、本来仏の分身である私達の無心と、仏の無心が共鳴して、自然と無心に至るのです。
日本では、昔から、舞踊の型稽古。。武術の型稽古、整体にもあるんです。禅にもある。。
これら型が大事なのです。
型というと、建築大工の型枠みたいに、肩に押し込めるもの。。と、感じてしまいがちですが、本当の型とは、僕的な言い方をすれば、仏と同じ座り方、姿勢、呼吸、歩き方と同調すること。
最初はマネから入るが、本来私達も仏でありますから、繰り返していくうちに、一体になるのです。。その時。仏の一部になります。。仏のままに生きる仏としての自分が在る。。事を思い出すんです。
それが本当の無心なのです。。
だから、無心に戻るには、意識的すぎる意識のを外す事。。
それは、無心になろうとか、欲望意識を捨てようとか。。そう言う力みではダメなんです。
何故、僕が整体師になったか?
それは、身体を、仏と同じ身体にすれば、勝手に仏と同じ呼吸となり、仏と同じ思考に至る事を知ったからです。
言葉で説明するのは無理。。体ごと理解してもらうんです。
仏と同じ身体とは、地球の重力線と、私達の重力線が、一致する立ち方ができる身体です。
僕がいつも、中心を通す。。といのは、そう言う意味です。
大切な事は型なんです。仏と同じ姿勢、歩き方、動き方、食べ方。。それを繰り返していくと、本来仏の分け御霊として、生かされている本当の自分が再度動き出す。。
呼吸が変わり、思考が変わる。。
これは理屈じゃないから、体ごと行う事が必要です、やらなきゃ分からないし、やれば解るんです。
身体から変わる事が大事。。身体ごとです。
寝れない時は、僕の場合。。寝ようとせず、脱力体操で、体を脱力させるんです。。すると、副交感神経に寄ってきて、呼吸が自然と深くなります。。
そうしたら、今度は呼吸を、無心呼吸法。。これは言葉では説明できない。。
を、繰り返していくと、自然と、今日も寝れないんじゃないか?。。という不安が消え、安堵感が出てきて、知らない間に寝てしまうんです。
自然とそうなる。。と言うメソッド。。型が大事。。
だから、無心は頭でいくら無心になろう。。と力んでもダメ🙅♀️と言う事。
体を使って、体で理解して、肌で気づいていく事。。
自転車🚴♀️の練習と同じ。。
いくら自転車に上手に乗れる事をイメージトレーニングしても、乗れないでしょ。。
でも、体で何回も転んでいくうちに、体が転ばない無心の乗り方を覚える。。
その時、地球と、人間と、自転車の重心は一つでしょう?
体が無心を理解すれば、呼吸も、心も無心になります。
行とは、全身全霊で行いなさい。。と、仏教で言われる理由です。
意識的に乗るから転ぶんです。意識的に乗るから怪我するんです。心も体も怪我するんです。病気にになる事も、自転車で転ぶ事と同じで、必要な事でもあるんです。
意識的に生きると、体を痛める事になるよ!心をいためるごよ。と、いつも身体は教えてくれるのです。
体を痛めたなら、自分の心の意識、執着。こだわりを手放し、無心で乗り直せば良いんです。
それを繰り返す。。
人生は自転車🚴♀️乗りです。
転ばない様に生きたいなんて、それも意識です。
転ぶから解るんです。
だから、体を使ってやってみる事。。転んでも良い。。転んだ時こそ無心への扉🚪があるのです。