言霊というものを勘違いしてる人が多くて、言霊とは、言葉の意味を知り、知った上で、その言葉を、唱え繰り返す事で、自分の都合のいい出来事が実現する。。
実現させる為の手段にしている。。
そんな新興宗教団体みたいな低次元な事をしている人がいる。。
言霊とは、言葉の意味ではないし、意味では無い響きの事です。。
響きとは。波動であり、気でもある。。
聖書にも、まずコトバありき。。みたいな文章があったと思います。
これを、私たちが使っている、意味を含んだ言葉の事だと勘違いしてるんですね。。
あの。コトバ。。とは響きであり、光の事です。気といってもいい。。
私達は、。自らが響き。。そして、響き合い、繋がった存在なのです。。
勿論、神仏とも、響き合った一つの命だといいたいのです。
その事を伝えたいのであって、例えばお経だって、その意味を学問的に覚える事で、響きが消えてしまう場合もあるのです。。
例えば、音楽の中で、一番波動が高い。。と言われているのはクラッシックでしょ?
その中でも、バッハ、ベートーベンは、波動が高いと、音楽家はいいます。。
クラッシックは、歌詞が無いでしょ?
つまり、意味が無い音楽なんです。。
クラッシックに歌詞をつけたら、そこに意味を感じる歌詞を入れたら波動が下がるんですよ!
意味というのは、肉体次元で必要なものであって、響き合う空の世界には無用なものです。。
大好きな人と、ハグした時には、言葉は要らないでしょう?
本当に深い所、空の世界で繋がるには、むしろ言葉は邪魔なのです。
言葉とは、言(ことば)の枝葉と書くでしょう?
あくまで、言葉に現せない響きの世界をあえて、肉体次元の頭脳に理解させ、納得させる為に、臨時で使うもので、本質では無い。。という事を、言葉という文字を作った人は、知っていたと言えます。
赤ちゃんの意味のまだ入ってない発生。。鳥の囀り。。
動物の言葉は分かりませんね。。
解らないからこそ、言葉というコミュニケーションより、本質的な響き合うコミュニケーションスイッチが作動する。。
だから、動物とは、深いところで繋がれるんです。。
自閉の子が。動物とはうまく付き合えるのも、言葉でのコミュニケーションが苦手だからこそ、動物と響き合うコミュニケーションが取れるんです。
僕は、大人の人が見ると怖い人らしいけど、子供がくると、僕の事、好きになる子が多いんですね。。
これも、子供は、言葉ではないコミュニケーションを取るから、僕の本質を感じとっているのです。
これは師匠から聞いた話ですが、ある人が、おまじないで病気を治してしまう。。
という事をしていたんだそうです。
その人は、そのおまじないの意味を知らず、おまじないの響きで、治していたのです。
それで、お節介な人が、そのおまじないの意味を教えたんだそうです。
そうしたら、そんな意味があるおまじないなら、もっと大事に使わなきゃ。。
と、意味に囚われてから、治らなくなった。。という話です。。
お経も、大学で意味を勉強した、資格僧侶ではダメなんです。。
でしょ? テレビに出てる僧侶で、この人は。。と感じた人、、皆無です。
意味を知れば知るほど、本質は分からなくなる。。
意味を知ることと、理解は違うんですよ。
理解とは、言葉の意味ではないんです。
コトバの響きを共鳴して感得する。。これが理解です。。
お経だって、大学で意味を勉強する前に、とにかく口に出して読み続ける事です。
南無阿弥陀でも。何妙法蓮華でも同じです。
繰り返し、発声する事で、そのコトバの持つ波動、響きと共鳴して、感得していく。。
すると何故か、お経の意味ではなくて、自分もお経だと解るのです。
お経がお経を読んでもいるのです。
意味化する言葉では、人間がお経を読んでもいる。。この肉体次元を超えていかないのです。。
仏教で、行。。行う事が全て。。というのは。こういう事です。