心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

人の良いところを見ろというが。。

よく、人の良いところを見ろ。。と言うが。。

正確に言えば、人の良いところを見ようとしろ。。と言う事ですよね!

それは意識的であり、無理矢理であり、不自然なんです。。

 

良いとことを見ようとすれば。悪いところもみえてきてしまうんです。。

 

十円玉の表だけ見ろ。。と言われれば言われるほど、十円玉には裏もあるんだ。。と意識してしまう。。

 

人の良いところを見ろ。。とは、十円玉には裏表あるが、表しか見るな。。と言われているのと同じであります。。

 

そんなしんどい人生はないですね。。無理でしょう?

 

人の悪い所ばかり見えてしまうのは、自分の問題なんです。。

相手が悪い人だからだけではない。。

 

自分が、人を人間が勝手に作り上げた物差しで測り、善悪に分けて見る癖。。

これが、自分の目の前に、悪い人と言う妄想を作り上げる。。

しかし、それは、じつは自分を鏡に写して自分を否定しているのです。

 

例えば、身体に痛みがないときは、身体は意識されない。。

痛いときは、体を意識し、自分の体を嘆く。。

 

しかし、症状がない事がイコールいい体ではない。。

症状がある痛みがある身体が悪い身体でもないのです。。

元気とは、恒常性が崩れきたら適時に、症状を出して治せる身体です。

 

これを人に当てはめても同じでしょ?

 

自分に不都合でない人は意識されないし、自分に不都合な人は意識される。。

だから、気になるのはいつも、自分に不都合な邪魔な人なのです。何故、邪魔なのか?と言えば、自分の都合に不都合だから。。自分の気分を害すからです。

 

36歳の時、フリーターだったのだが、社員の人が僕にいうんです。。

この社員の人は、バイトを教育して、運用するひとだったんですが、僕にだけは、心を許してくれて、年下の僕にアドバイスを求めてきたりしてくれました。。

「川村くん。。もう。バイトがダメな奴ばっかりで、イライラするよ。。でも考えたんだ。。これからは、人の良いところを見ていこうと。」

 

「ちょっと失礼な事言いますけど、人の良いところなんて見ようとしても見えないんですよ。。人間の器が大きい人は、みようとしなくても、人の良いところが自然とみえてるんです。自分の器を超えたものは見えないんですよ。」

 

「そうか。。俺は器が小さいんだな。。解った。。自分を磨くわ。。そうしたら、人の良いところは見えるんだね?」

とても素直な人でした。。

 

器の大きさとは、物事を善悪で見ることを超えていく事です。

物事を善悪で見れば、身体が痛い時しか身体が見えないのと同様。。

人の悪い所しか見えない。。

 

痛みのない時は、身体は見えないでしょう? 人の良い所は見えないのです。。

よっぽど自分を満足させてくれる事でもしてくれないと、見えない。。

そういう人をいい人だと勘違いです。

 

痛みがないのが善で、痛みがあるのが悪ではない。。

そう言う善悪を超えた見方ができるようになった分。。良い悪いを超えて、健気で尊い。。と言う感じがしますよ。。

当院のお客さんも、身体の理解が進むと、症状が出ると、「先生、またこうして身体は、私の体を良くしようと頑張ってくれてるんですね! 身体って健気ですね!」

 

こうして。身体への悪口は減り、身体への感謝に変わっていくのです。

自分を不愉快にさせる人が悪い人で、自分を、楽しませてくれるのがいい人。。

 

その基準では、狭い世界で生きる事になります。。