運気を上げるとか、運気を下げるとか。。
私達は、運が良いとか悪いとかを気にして生きているんだけど。。
僕は違和感があるんです。
運が良いとは、自分に都合のいい出来事が続くという事であり、運が悪いという事は、自分に都合の悪い事が続くという事ではないでしょうか?
しかし、本当に運が良い人とは。。
運が良いとか、運が悪いという事を意識せずに生きている人です。。
運が良いと感じた時も、運が悪いと感じた時も、それは脳に上がって来た意識を捉えた訳でしょう?
つまり無心状態では無い状態を、脳がキャッチした瞬間です。。
例えば絶好調だと感じる時は、運が良い、運気が良いと思うでしょう?
しかし、絶好調だと感じた時は、イキ過ぎで、だいたいこういう時やり過ぎて、調子乗りすぎて怪我するんです。。
絶好調🙂とは、高揚感で興奮状態なんです。。
また、運気が悪いと感じる時は、自分に不都合な事が起きている時でしょう?
例えば身体が痛い時、風邪🤧を引いた時。。
運が悪いのでしょうか?
それは高揚感という興奮と相対する落胆ですね。。
絶好調では無い。。という落胆です。。
共に、無心では無い状態です。
無心の究極は、寝てる時、熟睡してる時です。
寝てる時に、運が良いとか悪いとか?。。
運気を気にしますか?
しないですよね。。
心と呼吸と身体が一致した時が無心なんです。。
無心の時は、高揚感も、落胆感も無いのです。。
つまり、1日の中で、意識されない時間こそ。。
波に乗っているのであって。。
その時間こそ運が良い悪いを超えて、運気の波に乗れている無心状態であると言えるのです。
だから鬱の人によく言うんだけど。。
1日がなんとなく、無意識に過ごせる様になって来たら。。1日が短く感じる様になったなら。。良くなって来てるよ!。。と。
だから、波にさえ乗れていれば良いのです。
その波にお任せして生きておれば。。
波に乗れてるからこそ、運が良い様な事が起きたり、運が悪い様な事が起きて、それに一喜一憂させながら。。そのどちらにも傾かない不動心。。無心、あるがままに落ち着かせようと運命が、命を運んでいるのです。。
だから運気が良いとか悪いとか。。そんな事を考えない人こそ、運が良いのも悪いのもありがとう。。
と、運命を受け入れて感謝できる聖人なのです。
事故寸前で回避できたから運が良いのではありません。。
事故を起こした事にすらありがとうと言える心こそ、運気に乗れている、無心であり聖人なのです。
本当に運気に乗れてこれば、起きる予定であった事故さえ、未然に消えて回避している事でしょう。。
よく普段忘れない物を忘れて取りに行く事あるでしょう?
あーいう時、起きる予定であった事故、怪我が回避される瞬間なんです。
それは運気に乗れているから起きる事。。
意識的に運が良いと感じる出来事とは、絶好調🙂という高揚感です。。
それは有頂天を呼び込むんです。。
ボチボチでんなあ!。。
そのぐらいがちょうど良い。。