心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

子供の叱り方、北風と太陽

今日は、お客さんと、子供の叱り方について話をしました。。

最近は、暴力がいけない時代になり、先生は生徒を躾けるのが大変です。。

当院に来る学校の先生も、ぼやいていますね!

 

体罰は全て暴力なのでしょうか?

僕はそう思いません。。

 

僕の小中学校時代の中で、一番好きな先生は、小5の時の宇佐美先生です。。

では宇佐美先生は、体罰をしない仏の様な先生だっのか?

いえ。。真逆です。。

宇佐美先生は、最も、僕を殴った先生です。。

でも大好きなんです❤️。。何故でしょう。。

それは、宇佐美先生は、僕を殴る時、目はいつも優しかったのです。。

 

他の先生は殴る時、目が怒っていて、声を荒げて、興奮状態で殴ってきました。。

これは北風方式です。。

北風方式は、力ずくで、子供を良い子に矯正しようとするもので、心の中で子供の行為と、その子供そのものも悪。。として責めている心で殴るのです。。

しかし、宇佐美先生は違うのです。。

 

例えば、僕が掃除中に🧹ほうきでチャンバラして、廊下のガラスを割った。。

先生は、普通の顔で職員室から歩いてきて。。

半笑いで、「はい、ガラスを割ったのは誰だ?ここに並べ。。」

「お前ら3人で、掃除中に🧹ほうきでチャンバラして割ったんだな?それは良い事?悪いこと?」

「はい、悪い事です。」

「だなー。。なら歯を食いしばれ。。逃げるなよ。。逃げたら一発増えるからな。。」

と、片方の頬を押さえて、バチーンと、ビンタするんです。。

逃げたらもう一発。。

その間、目はずっと笑ってるんです。。

ここが違うんです。他の先生と。

行為を憎んで子供を憎まず。。

 

僕は小5ながら解っていたんです。。

宇佐美先生は、本当は叩きたくない。叩くのが好きな人じゃないのに、僕らの事を思って、「しょうがない子達だなあ。でも可愛いな😍お前達。。お前らの為に叩くからな、許せよ!」

という聞こえない声がいつも聞こえてくるんです。。

 

しょうがない子達だ。。でも可愛い奴らだ。

だから、この痛みを忘れるんじゃないぞ! もう俺にこんなことさせるな。。

 

そんな声が聞こえてくるんです。。

僕は、あー申し訳ないなあ😮‍💨と、思うんです。

 

それで宇佐美先生は、授業中に、「お前ら3人、お前らで割れた窓、用務員さんのところまで持っていけ。。それで治してもらって、又持ってこい。。」

と、お前らのやった失敗は、自分達で最後まで責任持て。。という教育です。

宇佐美先生のやり方は太陽ですよ。。

 

他の先生に感情的に叩かれると、ついてない。。 見つかったからだ。。今度は見つからない様にやろう。。と、思うんです。

 

でも宇佐美先生に殴られると、宇佐美先生に同じことで、又殴らせる様な事しちゃダメだ。。

と、思うんです。

この違いはなんだと思いますか?

 

許してるか、許してないかです。

心の中で、しょうがないなあ。。と、思えれば、もう許しています。。

しょうがない子だなあ。。という気持ちでの体罰なら、子供は叱られた。。と感じ、怒られたとは思いません。。

むしろ愛情を感じ、清々しい気分です。

 

しかし、しょうがないなあ。。と思えていない親に、体罰を受けると、それは責められた、怒られた、殴られた。。と、むしろ抵抗感が出てくるのです。

 

僕は、子供に体罰しても良いと思います。。

しかし、体罰の前に自分の心が、子供を許しているかどうか?の確認です。

「もうしょうがないなあ。。俺も私も、子供の頃はそうだったな。。」

 

又は、「子供の立場に立ってみれば、なるほどしょうがない事だね。。」

とか、自分の子供にこうなって欲しい。。という欲求が強すぎて、そうならない子にイライラして、怒鳴りつけてたなあ。。責めてるなあ。。

 

親側に、許せない理由。。しょうがないか!と、思えない理由、執着、こだわりがあるのではないか?

そう、怒鳴りつけ、殴るまえに、親が自分の心の問題に向き合うのが先です。

これは、子供の問題である前に、親の、親自身の問題なんです。

それを忘れると、感情的に責める様な、北風の様な、怒り方💢となり、北風が吹けば、服が脱げない様に抵抗する様に、無意識に反抗心が芽生え、反省に向かわないのです。

怒る前にしょうがないなあ。。と思えてるか?

思えないのは何故か?

自分に問うてみてほしいのです。

子供は解るはずです。

 

 

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