よく聞かれる質問ですが、理屈で答えるのはとても難しい。。
でもやってみよう。。
まず最初にお伝えしたい事。。
それは、私達人間は、本来無心で産まれてきていると言う事。。
だから、無心になるにはどうしたら良いですか?。。という質問がもう間違えているんです。
正確には、意識をどうしたら外せますか?です。。
無心に戻るには、どうすれば良いですか?です。
まさに、意識を外していけば、残るのが無心です。
気球は、砂袋を落とすたびに、上昇します。
上昇した分だけ、違う世界が見えます。それが思い出した無心の世界です。
それを繰り返し、砂袋を落としていけば、落とした分だけ無心が見えてくると言う事です。
思い出していくのです。
僕のブログも、要は無心を、思い出すきっかけとして、無心の世界を描いています。
生まれたばかりの赤ちゃん👶。。まだ3歳ぐらいまでの記憶はありません。。
何故、記憶がないかと言うと、意識がないからです。無心なんです。。
無心とは、何も考えていない状態ではありません。。
考えない様にする事でもありません。
生かされるがままに生きている状態。。生かされるがまま考えていれば無心なんです。
そうです。私達は本来無心であり、自分で生きているのではなくて生かされているのです。
ですから、無心優位の精神状態とは、僕もそうですが、自分で生きてると言う感覚よりも、神によって、宇宙の法則によって、大自然によって、他にもいろんなお陰様によって生かされていると言う、感謝の気持ちが強い状態です。
皆さんはどうですか?
自分で人生を切り開くんだ。。自分が自分が。。と、思ってる人ほど、意識が強い無心に至れない人なんです。
偏差値が高かったり、能力の高い人ほど、自分の力に慢心して、無心から遠のくのです。
では何故、無心で生まれた私達は、意識を身につけていくのでしょう。
それは、赤ちゃんが、4歳ぐらいからの記憶がある事で説明できます。。
3歳までは、自分しかいない、自分中心の世界です。。つまり他人がいない世界なので、他人を意識して、比較する必要がない。
それが、他人を意識しだし、他人の目が気になる様になり、他人のご機嫌を伺う様になり、他人との比較を始めると、自分の中から外を眺める無心状態から、。他人を意識して、他人目線で自分がどうあるべきなのか? どうすべきなのか? 外から見た自分と言う方向に変わります。
それが意識です。
社会生活を他人と一緒に過ごしていく上で、他人を意識して自分の行動を決める、意識的思考、行動は必要です。しかし、競争過多、情報過多の、時代の変化が早すぎる現代においては、自分が落ちこぼれる恐怖から、自分が無心である生き物である事を忘れ、人と比較、他の家族との比較において、必要以上に負けまいと頑張ってしまう。。
努力を止めた途端に振り落とされる恐怖があるんです。
それで、赤ちゃん👶時代の、自分がこうしたい、。あーしたい。。こうするのが気持ちいい。。と言う安堵感ある健やかで、のんびりした、生かされる生き方を忘れ。。
あーしなきゃ、こうしなきゃ。こうするべき。こうでなきゃならない。。あーしよう、こうしよう。。と、焦り興奮して、慌てて、時間がない時間がない。。と。。自分が本当はこうしたい。。と言う原始感覚を麻痺させ、自分が、人に優れた人間だと思わせるには. あーしなきゃ。。こうしなきゃ。。と、他人目線で自分をコントロールしようとする。それが意識なんです。気を使う状態です。。だから疲れる。
好きな子を意識するのも、要は、好きな子によく見られる様に意識してる訳です。
この様に、無心である心が、意識的他人目線より優位であれば、無心的に生きられています。。
その場合、心や身体に大きな症状が出ません。。心身のバランスが取れていますから。。
でも、無心の心より、他人目線の意識の心が、優位になっているのが現代人です。
だから無心とは何かまでわからなくなっているんです。無心とは生まれながら授かった本心。。魂の声です。
意識が優位過ぎた時、心や体に症状を起こし、その心の炎症。。迷い苦しみ、体の炎症、症状、病気を通して、意識的すぎる波動。。邪気を排泄すると共に、意識的すぎる自分に気づかせ、自分の心と向き合わせさせ、意識的すぎる他人目線を捨てさせて、本来の無心に戻そうとしているのです。
②に続く