躾(しつけ)とは、こういう字を書くんです。
知ってました?
美しい身体と書くんです。
私達は、躾をしつけという平仮名に勝手に変換し、その意味を、保育士に都合のいい、手のかからない子に矯正する事。。保育士の思い通りの子にする事。
母親にとって、手のかからない、行儀のいい、思い通りの子に矯正する事だと感違いしているんです。それをしつけだからと正当化する。。
だから、今、保育士の虐待のニュースが、話題になっていますが、保育士は、しつけのつもりだった。。というのです。
当院に来るお母さんからも、子供の叱りどころについて相談を受けます。
まずは、躾とは美しい身体である。。これを認識しましょう。。
一昔前までは、躾とは、正しい礼法を教える事でした。
その名残が、小笠原礼法に残っています。。
正しい礼法とは、魂と身体が一つになる姿勢、動作なんです。。
日本人にあった姿勢、動作。。これを教えて身につけて貰う事で、体が整い、呼吸が整い、心も整うのです。
それが本当の躾です。
これは、川村整体の基本思想と同じです。。
当院では、身体を整える事で呼吸が整い、心も整う。。というやり方で、メンタルの不安定なお客さんに対処しています。。
昨日来店した、コロナ感染してから、心がおかしくなり、精神科にも通っている。。
私はどうしたらいいのか? と聞かれ、いつも僕の言う事は同じです。
その女性には、「今日から、コロナ感染前の日常生活に戻してください。。今日の施術で、もうあなたの体は、どんどん後遺症である、臭覚異常、味覚異常も治っていきます。。その過程で真っ黒いうんちが出たり、湿疹が出る事もあります。それは、死んだウイルス🦠が排泄される姿です。その体の働きを手伝ってください。。それは汗をかく💦事です。。今日から、歩いて汗をかいてください。。身体が元に戻れば、呼吸が整い、心も整います。大丈夫🙆♀️」
子供の躾。。とは、本当は、まずは、子供の姿勢、動作を整えていく事です。。
それには、親が、正しい姿勢、正しい動作を身体で理解している必要があるんですが、親も、自分の親からそういう躾を受けていないから分からないんです。。
本当の躾とは、正しく座る事(正座、座禅)、正しくお辞儀する事(礼法)、正しく歩く事(経行)です。
例えばやってみましょう。。
宜しくお願いします。。という心を込めて相手にお辞儀してみてください。。
すると、いつもより自然と深くお辞儀をし、そして、頭を下げてから頭を上げるまでに間ができるはずです。
その心を呼び起こすには、美しいお辞儀を身につけさせてあげればいいのです。
これも一つの躾です。
人にお世話になる時は、心の中で、よろしくおねがいします。。と、唱える唱えるだけで、お辞儀が変わるのです。
こんにちわ。。も。魂日和(こんにちわ)だと思って言ってみてください。。
自分の魂と、相手の魂が和する様な、綺麗なお辞儀になるはずです。
礼法とは、魂の姿勢、動作なのです。
ですから、本当は、子供の習い事に、日本古来の伝統文化、舞踏、茶道、花道などを入れる事は、心を創るのにとても大事です。
でも現代のお母さんは、そんなもの習わせても、将来役に立たない。。と、考えてしまうんです。それも子供の躾の間違いです。
本当の躾とは、子供が、元々持ってる美しい心を養って上げる事です。
将来、役に立ちそうな事を無理矢理習わせたり、将来役に立ちそうな子に、矯正する事ではありません。
多かれ少なかれ、現代の親は、それをやってしまうんです。
だから、役に立たないことに興味を持たれる事を嫌い、それをやる前から制止してしまうんです。
子供が興味を持った事は、それが将来役に立つ立たない関係なく、まずはやらせてやる。。
自転車🚴♀️に乗る練習と同じです。。
子供が転ぶかかもしれないからと、自転車に乗らせない。。または転ばないように、いつまでも、後ろを持ってあげる。。補助輪を外さない。。
そうじゃ無いでしょ?
転ぶのをわかっいても、それを見守り、転ばさせ、自分で起き上がらせるでしょ?
それで、子供は転ぶと痛い事を学び、転ばない様に乗るにはどうしたらいいのか?を学び、転んだら自分で自転車を🚵♀️起こさないといけない自立心を学ぶのです。
無意味で役に立たない様な事を子供がしていても、それはその子にとっては意味があるんです。その経験をしないと、心が成長しないのです。
だから、見守る勇気が大事です。
冷暖自知。。という仏教の言葉があります。
寒い、熱いは、自分の肌で確認しないとわからないし、覚えないのです。
だからまずはやらせる事。。そして、自分でこれはしてはいけない事なんだ。。と、わからせる事。
その経験を奪ってしまう様な躾は、躾ではなく、親のエゴなんです。
くだらない事を思いつくのは、子供の特権です。
それをくだらないと、すぐやめさせるのではなく、自分でやらせて、くだらない。。と、自分でやめさせる。
その待つ心が、躾と言えるでしょう。。