心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

鳩尾詰まれば、時間が止まる理由、

 

今の若い人は砂時計⌛️と言って、分かるんでしょうか?

僕の子供の頃には、砂時計は、家の飾り物として、一家に一個はあったものです。

そして、技術がまだ低かったのでしょうか?

真ん中の細い部分で砂が詰まり、時間が止まってしまうんです。

 

実は人間の構造も砂時計に似ています。

 

私達が心、身体の調子が悪い時、その時は、必ず思考が煮詰まっていて、同じ事をぐるぐる🌀考えて、でも答えが出ない。。

そんな停滞した時間。。砂時計が詰まった時間こそ、身体の時間が止まっているのです。

 

川の流れは、流れていれば腐らない。。しかし土砂に遮られて、水溜まりとなり、流れなくなると。水は腐り、ボウフラが沸く訳です。。

川が流れている時間とは、時間が動いているのであり、水溜まりになって動けない水は、時間が止まっているのです。。

皆さんは、時が解決する! という言葉を聞いた事があるでしょう?

 

そして、確かに時間が経てば、良い事も悪い事も、過去の出来事となり、その出来事を通じて、気づきを得て、昔より大人になっている。。

そんな経験ありますよね?

 

実は心の法則とは、過去世で潜在意識に刷り込まれた、魂を離れて、煩悩で生きた記録が残っているのです。

そして、身体の浄化作用は、地球の🌏周波数と合わない、その全体と言う魂思考を離れて、個人的な煩悩で生きた記録を、外に排泄しようとするのです。。

縁に触れてです。。

 

その排泄反応が、心の悩み、迷いと言う苦しみでもあり、身体の症状、病気というデトックス作用なんです。

だから、心身に起こる症状とは、現れては消えていくものだと言う認識が必要です。

 

ほっとけば消えていくのです。

消そうとして、現わせているのですから。。

これが、真の時間が解決する。。と言う理由です。

 

この法則を知らないから、現れた心身の症状に囚われ、執着してしまうんです。

自分でしか、この症状は消せないと勘違いしてしまう。。

 

風邪を治してるのはあなたですか?

違いますよね?

自然治癒力が治しているのであり、自然治癒力も、時間が動いて⏰いるからこそ働けるのです。

 

私達が、消そうとして現れている心身の症状に囚われ、執着し、なんとかしなきゃと慌てる。。あえて時間を早めようとする行為。。

実は、その行為こそ、鳩尾を硬く詰まらせ、時間を止め、流れを止めているのです。

 

では、その、鳩尾の詰まりを解除するには、砂時計⌛️を、もう一度動かすにはどうしたら良いのでしょう。。

それが、僕がしつこい程言う、人生を快適に生きるコツ。。

それは、現実、現れた事に抵抗せず、受け入れる、受け止める事です。

 

受け入れる。。とは、魂思考です。

煩悩思考でいくと、受け入れるとは、負ける事。。諦める事。。マイナス思考だと思うんです。

それで受け入れると、余計解決しない気がするんです。だから受け入れられない。。

 

でもね。。私達は魂レベルでは、いつも全てを受け入れているのです。

それは、言い換えれば、宇宙の法則に身を任せていると言う事であり、それは自分を明らかにする事。。

諦めではなく明めなんです。

魂と煩悩が分離した状態は、煩悩が優先して働いてしまう。。

その状態が、鳩尾の詰まりです。

 

ならば、魂レベルに合わせていく。。

それは、魂と同じ思考をする事。それが受け入れる、お任せするのです。。

すると魂と一体になります。

仏凡一体と言います。

 

一体になると、今度は、魂優先となります。。

霊主体従です。

その時、煩悩優先の心では見えなかった、幸福。。煩悩即菩提。。

魂優先の心に至る事でしか見えてこない幸福が見えてくる。。

そして、その幸福は、最初から与えられていた事を知るのです。

 

幸福とは、特別なものじゃないんです。

どんな辛い状態にある人の目に前にもいつも在るのです。。

 

しかし、煩悩優先ではそれが見えないのです。

仏教でも、真の幸福は、近すぎて見えない。。と言う言い方をします。

 

よく頭にメガネ👓をかけているのに、メガネを探してる人がいるでしょ?

あれに近い。。

現実を受け入れる事とは、実は祈る事🙏と同じだと、お分かり頂けたでしょうか?

受け入れる事は、座禅🧘とも同じです。。

南無阿弥陀と唱える事とも同じです。。

祈りとはお願いではないのです。

受け入れます。。帰依します。。お任せしますと言う。神仏への無抵抗宣言なのです。

鳩尾を詰まらせない方法。。

時間を止めない方法。。

 

それは、現れては消えていく潜在意識の掃除である現実を受け入れて明らかにすることです。

僕の名前は明なんです。

名は体を現すと言いますが、僕は、この明らめる事こそ祈りである、。座禅である、南無阿弥陀である。。

と言う事、真理を、お伝えする体として生まれたのだと思います。

実際、二十代の頃からそればかりしています。