来年も物価高は続く事が予想されます。。
当然、生活防衛に、節約が必要です。
では、何を節約すれば良いでしょう。。
私は提案したいんです。
知らず知らず、本当は欲しくもない物の消費でお金を減らしている。。
それは見栄消費です。
日本人に根強い標準信仰。。お隣さんが新車を買えば、自分も型落ちの車に🚙いつまでも乗っているのが恥ずかしい。。
お隣さんが、家を現代風にリフォームすれば、自分の家が古く感じて恥ずかしい。。
我が家が劣っている様に感じる。。
お隣さんが子供に習い事を始めさせれば、自分の子供にも習わせたい。。
子供が遅れる気がする。。
これは、一定以上裕福が故にできる見栄消費です。。
見栄消費ができる。。という事は、実はそんなに貧乏ではない訳です。
日本は、世界の中では、見栄消費ができるぐらいの生活苦でしかない。。
僕の亡くなった親父は、幼少時貧乏で、何もかも兄のお下がり。。修学旅行も自分だけ行けなかった。。
と、言っていました。。
家が狭い為、勉強する部屋もなく、大学受験の勉強は、高校の黒板でやっていた。。
と聞きました。。
親父の貧乏話は、今では懐かしい話です。
この様に、戦後は、裕福な子供と貧乏な子供。。
ハッキリ分かれていた訳で、貧乏な家に生まれた子供は、見栄を張るお金もないし、見栄をはろうとも思わせてもくれない現実を受け止め、では自分は、どうすればいいのか?
考えたんですね!
だから親父は、高校の放課後、学校の黒板で🏫勉強するという恥ずかしさを乗り越えて、プライドを捨てて、今を生きる術を受け止めて実行したんです。
これから、きっと、物価高で生活は苦しくなるでしょう。。
しかし、チャンスでもある。。
もう見栄を張ってる場合じゃない。。
お隣さんはお隣さん。。
家は家だよ。。
と、割り切って受け入れて、ありのままの家族の在り方で生きていく。。
その方が、幸福だ。。と、感じるかもしれない。
子供が可哀想だと思うかもしれない。。
しかし、親父から家が貧乏だった事での、両親への恨み辛みは聞いた事がないんです。
これは、貧乏でも愛情は感じていたという事です。
親も、自分達は見栄消費をやめてもいいが、子供の見栄消費は続けてあげたい。。
それは子供への愛情でもあるし、子供に恨まれたくないという動機、恐怖もあると思うんです。
でも、実はうちの母ちゃんも、幼少時、貧乏で、自分だけ制服が着れなかった。という話を聞いた事がある。。
それでも母も、両親への恨み辛みを言った事がない。。
子供に対しても、まず親が見栄消費をやめた姿を見せれば、それを毎日見ている子供も、見栄消費は、自分もやめよう。。と、覚悟できるはずです。
それでも、どうしてもやりたい事だけは、ハッキリ要求できる雰囲気。。
させてあげる雰囲気があれば、家族愛は成立するはずです。
それを残した、緩い家族関係が、これからは必要。。
完璧な家族は窮屈です。
なんでもかんでも節約する心は、心が萎縮してしまいます。
本当に使いたいことには今まで通り使う。。
でも、見栄消費はキッパリやめる。
車に興味がないなら、動いているうちは買い替えない。。
型落ち結構。。
本当に持ち家が欲しいと思わないなら、買わない。。
生涯借家でも良い。
親父の弟は医者で、おばあちゃん👵に家を買ってやった。。
ばあちゃんの念願でもあったはずなのに、暫くして、家を売却、また借家に戻したんです。
広すぎて落ち着かないらしい。。
見栄より、真の快適が大事。。そう思ったのでしょう。
自分の心に正直に消費していく。。
そういう事でいいと思うんです。
そうすれば、意外と生活苦ではない事に気づくでしょう。