心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

これじゃいけない?これで良い?

私達が成長する時、今のままではいけない。。このままじゃいけない。。

と、自己を否定する所からスタートするものだ。。と、思われていますが、僕は、それは違う。。と、言っておきます。

 

例えば、私達は、それぞれの花🌼🌸として命を受けています。。

ひまわり🌻として生まれた人は向日葵🌻として死ぬ。。

それが天命を全うした。。という事です。

アサガオで生まれた人はアサガオとして、パンジーとして生まれた人はパンジーとして、死んでいくのです。

亡くなった野球の野村克也さんは、生前、長嶋茂雄さんの人気ぶりを妬み、長嶋は向日葵🌻だが、俺は月夜でしか咲かない月見草だ。。

と、よく言っていました。。

しかし、その言葉の奥には、長島は太陽🌞、向日葵として生まれた、俺は、月見草として生まれた。。それをちゃんと受け入れて、月見草として、美しく咲き、散っていったのだと思います。

自分の天命を知り、それを受け入れて、それを全うする事。。

その中にこそ、その花💐その花🌼、それぞれの幸福があるのです。

 

当院には、過敏体質、過呼吸体質のお客さんが多数見えます。

皆さん、野村克也さん同様。。太陽🌞として、向日葵🌻として生まれた、華やかで、いつも人が集まり、評価される人と自分を比較して、自分を責め、劣等感を持ち、時には嘆き、自分も太陽に☀️。。向日葵になりたい🌻。。と、無いものねだり。。比較をしてしまうのです。

 

しかし、僕はいつも言うのです。

地球には🌏、太陽も必要だが、お月様も必要なんだよ!

目立つのは太陽☀️。。評価され易いのも太陽☀️。。しかし、それは、目に見える世界での話です。

奥深い心の底では、私達はお月様も大好きですし、身近に感じ、親近感があるのです。

人は、なぜ、月に行きたがるのでしょうか?

太陽に行きたがる人はいない。

お月様は、静かに夜を照らし、私達を見守ってくれています。

それを感じているのです。

だから、月に行きたいのです。

月に抱かれたいのです。

自分で自分を月見草。。だと言って生きた野村克也さん。。

長島さんに負けじ劣らず、愛されて死んでいきました。

僕も野村克也さんが大好き。。

 

僕も自分を月見草だと感じているから。。

僕も月見草として生きています。

でも、これじゃいけない。俺も太陽に☀️ならなきゃ。。とは思わない。。

思った時期もありました。

でも、無い物ねだりは辞めたのです。

 

月として生まれた人は、太陽にはなれない。。

でもそれでいいのです。

大切な事は、自分が何者なのかを知る事です。

 

自分がどんな花💐として生まれたのか? それを知り、それを受け入れる。。

そして、なんだ。。俺は向日葵🌻じゃなく、月見草だったのか?

ならばこのままでいいんじゃないか?

なんで自分を否定してきたんだ?

今の自分を許し、ダメなまま、肯定して愛してあげる。。

 

こんな俺じゃだめだ👎と、自分を否定してごめんね🙏

と、自分で自分を抱きしめてあげる。。

そこから改めて、月見草としての更なる輝きを、増すにはどうすれば良いのか?

月見草として、今よりより良く生きるにはどうすれば良いのかを考える。。

今がダメだから次へ進めるのです。

今を否定すると、過程を否定した事になるから、次へステップさえ消してしまうんです。

 

道元禅師の言葉で、「瓦を磨いて鏡にする」という言葉があります。

 

瓦をいくら磨いても瓦です。鏡に変身する事はできません。

しかし、瓦を磨き続ければ、瓦は瓦のままに輝く事ができるのです。

野村克也さんが、月見草のまま、月見草を磨き、全うして、多くの方を幸福にした様に。。

 

太陽になろうとしないでください。。

あなたは、オンリーワンの花🌸として生まれているのです。

比較して、自分の花は🌸美しく無い。。もっと美しい花に変身しなきゃ。。

 

自己否定から始まる成長は、変身願望です。自分以上の価値ある、意味ある何者かになろうとしているのです。

そうではなくて、自己肯定から始めるのです。

それは、今の自分を丸ごと抱きしめてやる事から始まるのです。

ダメな自分は、ダメじゃない自分に至る途中の大切な姿です。

絵を描く🖼時も、彫刻を掘る時も、途中の姿は美しくはないでしょう?

醜いアヒルの子の童話もそうです。

 

今ダメでもずっとダメなわけじゃない。。

人間の成長も、ダメを通じて立派になっていくのです。

自転車🚴‍♀️は転んで乗れる様になる様にです。

 

青虫🐛が、アゲハ蝶🦋になるようにね!

瓦を磨いて鏡にする。

大事な言葉です。