心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

才能がある幸福、才能が無い幸福

テレ部によく出てるホスト。。ローランドさんが、面白い事を言っていたよ!

ホストの面接をする時、才能豊な人は、もちろん採用するが、才能の無い人も採用するのだと言う。。

 

何故だろう?

才能の無い人は、変われる才能があるから、化ける場合があるのだという。。

この言葉に、僕は頷きました。。

 

ダーウインの進化論でも、生き残るのは、強い者ではなく、適応できる者。。変われる者だと言います。

 

これは、僕も55年生きてきて、感じる事ですし。。

去年死んだ親父の口癖。。

「才能豊かな奴は油断する。。才能の無い奴は油断しない。。天才には油断する弱さがあり、才能が無いと自覚している奴は、油断しない強さがある」

 

僕は、子供の頃から、この事を、強く意識して生きてきた気がします。。

 

才能がある事は、もちろん生きていく上で楽だし、得です。。

でも、才能がある事。イコール幸福だとは思いません。。

才能があれば、結果を出し易い。。

結果を出せば、評価されて、給料も上がる。。

承認欲求は満たされ、優越感に浸りながら生きていく事ができます。。

そこから転落する恐怖も🫨同時に発生しますけど!

 

しかし、天才型の人は、才能が無い人の経験する、挫折感や、孤独感、嫉み、その挫折感から脱出する術を経験していません。。

それだけ、心の経験は、実は少ないのです。

心の経験が少なければ、気づきも少ない。。

気づきが少ない。。という事は、優しさも少ないという事です。。

人の気持ちが分からないから。。

 

体操のオリンピック金メダリスト。。森末慎二さんが、面白い事を言いました。

「僕は、体操のコーチや、監督にはなりません。。何故なら、僕は天才型だったので、なんでも最初からできちゃう。。だからできない子を見て、なんでこんな事ができないんだろ?

と、いう目でしか見れないし、何を教えればいいかも分からないからです」

 

メジャーリーガーの、イチロー選手も、似た様な発言で、プロ野球の監督、コーチにはならない。。向いていないから。。と、言っています。。

 

逆に、亡くなったプロ野球監督の、野村監督。。ノムさんです。。

ノムさんは、まさに、才能の無い人が、才能の無い自分を認め、才能が無い自分が、どうしたらプロ野球で飯を食う事ができるのか?必死に考え、研究して、一流選手になったタイプです。

そんな野村克也監督はいうのです。。

「俺は、底辺の選手の気持ちも解るし、頂点の選手の気持ちも分かるんだ」

だから、野村克也監督は、監督時代、野村再生工場と言われて、他の球団で活躍できずに、クビになった選手を獲得して、多くの選手を活躍させたのです。。

これこそ、自分自身が才能に恵まれない選手であったからこそ、才能の無い選手が、どうしたらプロで活躍できるのか? その術を、教えてやれる事ができるのです。

それだけ心の経験、気づきが多いのです。

 

名選手、名監督にあらず。。という言葉もあるが、天才選手は、どうしても、できない選手の気持ち、立場に立って、物を考えることができない。。

そこにはどうしても、選手と気持ちを通じ合う事ができない。。という隔離が起きる。。

今、中日の監督の立浪監督。。

高卒1年目からレギュラーで、天才選手です。

 

どうも見ていて選手と気持ちが、一つになっていない様に見えます。。

これも、やはり立浪さんが、才能のない選手の気持ちがわからない。。という事もあるように感じます。

どうしても見下してしまう。。ダメな奴という目で見てしまう。。

そう見られていると感じる選手も、当然立浪監督を嫌いになるでしょう。。

 

さあ、ホストのローランドさんも、きっと、不甲斐ない時代も経験して、トップに君臨した人なのでしょう。。

才能がない人は、このままでは、通用しないんだと、謙虚になり、自分を変えようとする。。

変わる事で、成長しようとする。。それで化ける人がいる。。

才能ある人よりも、上に行く人がいる。。

そういう体験があるのです。。きっと。。

大器晩成という言葉もありますね。。

 

才能が無い事は、悪い事ばかりでは無いんです。

才能がある人は、自分を変えようとする必要が無いので、人としての成長は遅い部分がある。。

 

才能の無い人は、悩み苦しみ、心の体験をたくさんして、自分を変える事で成長しようとするので、時間はかかるが、大成した場合。。野村克也監督のように、底辺の人の気持ちもわかり、指導方法もわかる。。それだけ多くの層の人達を助けて、愛される。。

それはそれで、野村克也監督の得た幸福であり、長嶋茂雄監督や、王貞治監督の知らない幸福とも言えます。

僕はむしろ、才能は程々の方が、自分を知る事ができる。。

自分を正しく知る事こそ、最良の幸福だと思うからです。

 

俺は何をやっても上手くいかない。。。

だから自分を変えようとする。。

自分を変えるとは、執着を手放すという事。。

自分を変えた分、自分を知るという本当の幸福が手に入るのです。。

その幸福は、同時に、人に対する優しさに変わります。

 

これが真の幸福の定理。。

煩悩即菩提です。

 

災い転じて福となす。。

災いが無ければ、自分を見つめる事もありません、。

災いがあるから、自分を見つめて、自分の執着に気づき、それを捨てる事で、新しい自分に変われる。。

そういう意味では、仏教で言う、真の幸福、菩提心を獲得するには、才能豊かでない方が良いのです。。

親鸞さんが、悪人の方が救い易い。。という言い方をする理由です。

善人は優秀で、慢心してるから、自分の心を反省、見つめる機会が少ない。。という事です。

災い転じて福となす。。そこには、今まで気付けなかった幸福があるのです。

永遠に失う不安の無い幸福が。。