最近の若い子は、出世したくない。。という子が多いようですね。。
それはそれで良いと思うんです。
僕らの若い頃は、成り上がる事が究極の幸福感だと。。いう認識でした。。
その象徴として、ロック歌手の矢沢永吉さん。。
広島の田舎から出てきて、成り上がった。。矢沢さんの言い方で言えば、ビッグになった訳です。
ですから、当時の若者は、矢沢永吉さんに憧れ、矢沢永吉さんのように、東京で成り上がるんだ。。と、夢を見ていましたし、当時はネットも無く、成り上がるには、田舎から東京にまずでないといけない。。
そういう認識でした。。
だから、高校生くらいになると、我先に東京に出て、成り上がり、地元の仲間を見返し、驚かしてやるんだ。。
承認欲求がとても強い世代でした。。
実際、高校卒業と同時に、バンドで成り上がるんだ。。と、進学もせずに東京に出て行った子がいます。。
皆にプロになれよ!。。ーと、励まされて東京に行くのです。
僕の場合も、名古屋の大学に進学したのですが、大学3年時に、やはり自分もチャレンジしてみたい。。と、大学に在学しながら東京に出て、荻窪に住みながら、俳優養成所のオーディションを受け、なんと合格したので、1年間学んだんです。。
この話はした事ありましたか?
僕が俳優養成所のオーディションに合格したらしい。。という噂だけでも、当時は地元の仲間を賑やかせ、興奮した仲間も、俺も俺も。。と、東京に出てきちゃう。。
そういう時代でしたね!
一年で挫折して帰って来た訳だけど。。
今回言いたい事は、承認欲求を満たしたい。。その大義名分で、不自然に自分に鞭打ち、ストイックに成り上がる事、、成り上がれたとして、承認欲求を満たせたとして、満足などできないという事。。
僕が大学生の頃。。プロ野球のヤクルトスワローズの、高野さんというピッチャーが、引退後自殺したニュースを見て、ショックを受けたんです。
なんで? 成り上がり、結果も出して、有名人にもなれたじゃない。。
夢果たしたじゃん。。
なんで自殺したんだろ。。。
その後も元プロ野球選手の自殺は相次ぎ、芸能人の中でも、自殺する人多いですよね?
なんでででしょうか?
それは、成り上がり、頂点を取り、究極の承認欲求を得た瞬間から、同時に、ファンの期待に応え続けないといけない。。という偽の自分を演じて生きていかなければならなくなる事。。
そして、この地位から脱落するか恐怖が産まれるのです。
それも、頂点から落ちていくのは、そうではない人より落差が激しいのです。
その苦しみに耐えられないのです。
株をやると、急激に暴落するのに耐えきれず、9割の人が株を辞めるそうです。
それぐらい、人間は、落ちていくストレスに弱いのです。。
成り上がる事は、一時的な優越感や、承認欲求、、財力も手にするかもしれんが、ジェットコースターと同じ。。その瞬間から落ちていく恐怖に苛まれるのです。。
綺麗な女性は、そうでない人より、自分が美しくなくなる事に恐怖して、その恐怖を打ち消すように努力している。。
吉永小百合さんは、いつまでも綺麗ですが、きっと、この先もっと長生きして汚くなる事に怯えているはずなんです。
つまり、成り上がる幸福感とは、真の幸福ではなく、妄想であるという事です。。
これを仏教では諸行無常と言いますね。。
諸行無常とは、すべての事柄は、常である事がないという事。。
固定される事はなく、液体、気体の如く、瞬間瞬間を変化して移り変わっていくものです。
雲が、動物の様に見えたと思ったら消えたみたいな。。
目に見える世界は、全てそうですよ。。だからそんな雲の様なものに執着しなさんな。。
雲が永遠の固定されたものだと考える事が迷いであり、執着、苦しみを産むのですよ。。
これが諸行無常という仏教の奥義です。
そして永遠の命に気づくのです。
それが菩提心です。
煩悩即菩提。。諸行無常に執着した迷いを通じて、真の永遠の命、菩提心を知る。。
これが生きている目的です。
高校生の頃、人が生きる目的は何なんだ?
この事に随分悩んだのです。。
その答えが仏教にあり、それは煩悩即菩提の実践だったのです。
これも私達が決めた目的ではないんです。
この様な目的を与えられ、生かされている存在が私達です。
それを受け入れて、全うする事。。
それが、1番より良く生きている瞬間です。あるがままな瞬間です。
仏教では、死後、六道輪廻と言って、六つの世界を繰り返し生まれ変わっていると言います。。
その六つの世界の中に、天上界というのがあります。。
多くの方が、これを天国だと勘違いしていますが、本当の天国とは、六道輪廻を超えた解脱した世界。。つまり生まれ変わる必要性がなくなる事です。仏教で言う極楽浄土です。。無碍自在な世界。。つまり、全てにありがとうと言える、囚われ、障りのない心の世界。。天上界とは、天上、頂点を獲得した成り上がり成功者が、それを失う恐怖、喪失感、という迷いを体験しながら、成り上がる事は、真の幸福ではなかった、。と気づく場所なのです。
成り上がる事は、真の幸福ではない。。
ただの有頂天という興奮である。。
天上界には、有頂天という場所があります。
真の幸福とは、あるがままの自分を知り、あるがままの乗り物に乗る事です。。
そのあるがままの乗り物に乗れた瞬間。。全ての人がその船🚢に、元々乗っていた事に気づくのです。
つまり調和しておるのです。
それを、大乗仏教というのです。