私達は、物心ついた瞬間から、成功する事イコール幸福と考え、どうすれば効率よく成功できるのか? その成功に至る為に、今、何をすべきなのか?
その事で頭が一杯になってしまう。
親子共々。。
しかし、大人になってみて、成功イコール幸福ではない様だ。。と、気づけた人は幸いであります。
次のステップに進んでいます。
成功したら薔薇色の人生が待っている?
でも、成功してみると、違う苦しみが増える。。
また、成功したと言える経験が無い人の中に、自分は幸福だ。。と、手を合わせる人もいる。。
成功すれば、幸福になれる。。と言うのは、実は妄想に過ぎない。。
そんな事を、1930年代に、哲学者?の、三木清さんが本を出している。。
人生論ノートです。
引用。。
成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、
人間は真の幸福が何であるかを理解し得なくなった。
人生論ノート 三木清
夢を叶える。成功する。心にゆとりのある幸せな生活。
同じくくりで考えがちだけれど、
ひとたびイコールで結ぼうものなら、人生は辛いものになってしまうかもしれない。
成功できない自分を認めてあげることが出来ないのは、とても辛いから。
夢を叶えること、成功すること、幸せな生活をすること。
似ているようで違う これらひとつひとつを切り離すよう、わたしに教えてくれたてつがくがあります。
それが三木清の「人生論ノート」。
三木清の「人生論ノート」とは
このてつがく書の内容は、まさに複雑な現代人のこころの葛藤を説いてるようだった。
しかし、驚くことに、この本は1937年に書かれたもの。
1937年というと、ヒトラーのファシズム、日中戦争・・・という遠い歴史の中のように感じる。
しかし、この80年も前に説かれた本を「現代人こそ読むべきだ」と伝えているのは、
あの有名なアドラー心理学の解説をした哲学者の岸見一郎先生だ。
これは、岸見先生が三木清の「人生論ノート」をNHKの「100分de名著」の第1回で解説されていた内容の一部を、わたしなりに噛み砕いてご紹介したものなので、てつがくといえども親しみやすいと思う「成功」=「幸せ」だといつまでも幸せになれない
「成功すること」=「幸せ」になってしまうと、いつまでも幸せになれない人が出てくる。
残念だけど、この世のだれもが夢を叶えることはできない。
成功するのは一握りという現実があるのだ。
クラスメイト全員が宇宙飛行士になりたいと願っても、全員が宇宙へ行けるわけじゃない。
オリンピックに出たいと願っても、願った全員が出れるわけじゃない。
全員が成功できるわけではない。それが現実だ。
しかし、成功できない自分を責めてしまったり、自分は不幸だと思い込んでしまうのは、ちがう。
一方で、成功したにも関わらず「今の自分は本当に幸せなのだろうか?」と疑問に感じてしまう人もいる。
その人は、きっと「成功」=「幸せ」がイコールと考えているから、手にした成功では足りないと感じてしまうのだろう。
夢を叶えたものの・・・満足感がない
有名になったものの・・・余計辛い
結婚したものの・・・嫌な事ばかり
出世したものの・・・責任感に押しつぶされそう。
追い求めていたのは「成功」だったから、心の中に混乱が生じてしまう。
引用終わり。。
成功さえすれば、その先はパラダイス?だったはずなのに。。
成功した後、目標を失い元気がなくなる人。。
成功したばっかりに、成功者という目で見られ、期待に答える宿命に怯える。。
成功したばっかりに、有名になり、プライベートがなくなる。。
社長になったばっかりに、社員の給料を払う金策で夜も寝られない。。
金持ちになったはずなのに、このお金が盗まれたり、なくなる恐怖で、不安が生まれる。
今、この瞬間が幸福だと解らないから、こうなったら、こうすれば幸福になれるんじゃないか?
と、今ではない将来、未来に希望を見出す。。
しかし、本当の幸福は、今、この瞬間にある。。この事に気づくまで、成功と言う青い鳥を追いかけ続け、捕まえてみたが、しばらくの達成感のあと、虚無感に襲われて、また成功と言う目標を立てて、自分の虚無感を誤魔化す。
キリがない。。このキリがないのは、上昇志向ではなく、実は誤った欲望なのです。
欲望に切りなし。。
無い物を追い求めても、シャボン玉を追いかけておるのと同じ。。
捕まえたと思えば消える。。そんな物を追いかけてどうする。。
と言うのが、仏教の諸行無常と言う言葉の意味です。
成功した事で、成功した事がない人の見たことのない景色を見ることができるかもしれない。。しかしそれは幸福ではなく、経験の一つに過ぎない。。自分を知る過程でしかないんです。
本当の幸福とは、経験を通して、自分を知る事です。
自分を知って分、自分は今のままで幸福だった。。と気づくのです。
三木さんも言っています。
「成功」はあくまでも過程である
決して、成功すれば幸せにたどり着くわけではない。
あくまでも「成功する」というのは、人生の中の過程のひとつ。
「成功」は人生の中の出来事のひとつなのだ。
そして困ったことに、実は「成功」には終わりがないことが多い。
ある地点に到達すると、もっと成功している人がもっと先にいることに気づく。
すると「自分はまだまだだ。」と思う。
さらなる先の成功を目指し、努力して進むのはいいことだ。
けれど「まだ成功していない」と自分を奮い立たせたとしても、「まだ幸せじゃない」という勘違いをしてはいけないのだ。
「幸福」とは、存在である
何かを達成できたから幸せになれるのではなく、人はもう、今この瞬間に幸福である。
人と同じ形の成功は追い求めることができるけれど、同じ形の幸せは叶わないのだ。
引用終わり。。
幸福とは人それぞれの中のある本当の自分に気づく事です。
成功した事で幸福になれるわけじゃない。。
成功者ほど自殺する理由でもある。。
有名になった事で苦しみが増え、成功が幸福という妄想に気づけないまま、行き場所を失い、八方塞がりになるのです。
有名人は、まさに、成功が幸福では無い。。と、気づいて、それを世に伝えて欲しい。。
成功も失敗も、健康も病気も、自分は何者なのかを知る、経験、過程に過ぎないのです。
成功から気付ける事、失敗から気付ける事。。健康から気付ける事、病気から気付ける事がある。。
だから全て必要で必然なんです。
成功する事で気付ける事がある人が成功してるだけ。。
奥深い世界では実はその程度の事。。
縁で成功しているのであって、自分の努力だけで成功したわけじゃない。。
生まれた時から、成功する体験をする運命の中にいただけです。。
そう言う謙虚さが必要。。
成功イコール幸福ではない。。
幸福とは、気づきです。。
病気になる事で気づけた事があるならば、今、この瞬間にある幸福を知った事になる。。
自分を知る事になる。。それが求めなくても向こうからやって来て、決して消える事の無い、真の幸福です。