心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

ありがとうとは、有り難い事に感謝

ありがとうとは、何かしてもらった事に対するお礼。。

これが、今のありがとう😊の使い方ですね。。

 

しかし、言葉とは、元々の語源を無視して、時代と共に、違う意味で使われ出す。。

という事は多い物です。

 

ありがとうの語源は、お釈迦さんが、弟子に対して、「人間に生まれ変わる事の可能性の低さ。。確率の低さ。。その低い確率を経て、人間に生まれた事は、有り難い事。。つまり、難しい事だよ。。奇跡の確率だよ。。そんな難関を経て人間に生まれた事を知りなさい」

という意味での有り難い。。ありがとうなのです。

 

つまり、人に対してのお礼というより、自分の心の中での感謝🥲だと言えるのです。。

ちょっと前の言葉だと、お陰様で。。が近いかもしれないですね。。

 

誰のお陰か解らんけど。。こうして生きて行けてるのは、お陰様 お力があってこそ。。

自分の力だけで生きていける訳じゃ無いし。。いろんな人の力、自然の力。。お陰様で生きているんだ。。

 

人間が、100年も生きる事も、ある意味、有り難い事と言えるでしょう。。

 

ここで僕が言いたい事は、有り難う(ありがとう)は、人の為に使う言葉じゃなくて、自分の為に使う物だ。。という事です。。

 

お経もそうですよ!

昨日来た女性👩‍🍼が、家が浄土真宗である事から。。子供の頃から、南無阿弥陀仏と唱えるのは日常だと言うのです。

 

僕が「誰の為のお経ですか?」

と聞くと、ご先祖様の為です。。と。。

「お釈迦さんの経典の何処にも、ご先祖様の為に法事、お経を読まないと、ご先祖様が浮かばれない。。なんて事は書かれていないんですよ! それは、法事で儲けたい。。葬式坊主が作り上げた嘘です。戒名も嘘です、お経は、自分の為に読むものです。唱える物です。。

それがお墓の前であっても、お経は、自分の魂の開花。。自分の魂にロウソク🕯️の火🔥を、灯す為に唱える、自分の修行なのです。。自分の魂にロウソク🕯️の火が🔥灯れば、それは、見えない気で繋がる先祖様のロウソク🕯️に、火を🔥分け与える事に自動的になるのです。。

自分の魂に火が🔥灯っていないのに、どんなに形式的に、法事を繰り返しても、ご先祖様のロウソクに、火は🔥灯らない。。火が🔥と灯らなければ、そこから先おの暗闇を照らす事ができず、先に進めない。。先祖を思うなら。。まず自分です。。自分の為にお経を唱える事です」

 

彼女は、「お経は自分の為に読む物。。ここ。。響きました!」

と。。

僕がいつも、人の為に生きるのではなく、まず自分の為に生きる事。。

自分の為に生きてる事が、そのまま、勝手に人の為にもなっている様な生き方。。これこそ正しい生き方。。仏教で言う、自利利他なんです。。

 

これは有り難う。。も同様です。

実は昨日、久しぶりに、びっくりドンキーに行ったんです。。

僕は.びっくりドンキーの、クラッシックサラダ🥗が好きなんです。。

 

ピリ辛でうまい。。食べてみて!

で、一番暇そうな、3時ぐらいに行ったんです。

 

そしたら案内してくれて、メニューを聞いてくれた主婦のパートさんが無愛想😠でね。。

言葉はマニュアル通りで丁寧なんだけど。。心ここにあらずで、機械的と言うか、僕との心の交流を拒否した感じ。。

解るでしょ? 最近のサービス業の店員あるあるです、。

 

でもね。。僕は以前、コンビニで必ず店員にありがとうと言うよ😊!

というブログを書きましたね!

 

これも店員さんの為ではなく、自分の為に言うんです。

言いたいから、、言うと気持ちいいし、言う自分が好きだし、言わないと気持ち悪いし、言わない自分が嫌いだから。。

店員さんの為のありがとうだと、店員が無愛想😠だと、言いたくない、、言わないと言う事になるでしょう?

それが人の為の弱点です。。

しかし、自分の為に言う有り難う。。は、相手が無愛想だろうが必ず言うんです。。

自分の為ですから。。

 

昨日も、びっくりドンキーで、無愛想😠なパートさん。。

注文したら、サラダ🥗を先に持って来て、無愛想に、雑に置いた。。

でもね。。僕は、自分の為に、気持ちよく「あっ。。どうもありがとう」

と言ったんです。。

 

その瞬間、彼女の心が動いたのを感じたんです。。

聞こえない声で、「この人、なんか良い人かも⭕️」

そう感じてくれたのを感じた。。

その瞬間から、彼女は別人になり、減ったコップの水を補充しに来てくれて、更に深く心を込めてお辞儀をした。。

そしてハンバーグを持って来た時も、丁寧に優しい目で、丁寧に置き、優しい目で、ごゆっくりどうぞ。。と。。

あれ、最初と全然違うやん。。

そうか。。きっと彼女は、根は優しい良い人なのに、人見知りで、初対面の人が怖いんだな。。特に、僕を最初、怖い人だと思ったんだろう。。

それで、出来るだけ関わらない様にしようと、。それがあの態度だったんだな。

 

でも、僕が、毎回、どうもありがとう😊。。と、優しく返すものだから、心のバリアを解除して、本来の自分を出したんだな。。

そうか。。やっぱり、このありがとう😊の習慣は大事だなあ。。

 

これからも、どんなに店員が態度悪くても、ありがとうは言おうと。。思いましたね。。

自分の為に言うありがとう。。自分の為に唱えるお経こそ、周りの人を幸福にする。。

この証明ができました。。

 

何かをしてもらってありがとうも、ありがとうだが、何もしてくれない人にも、有り難う。。

この有り難うは、閉じていた扉🚪を開く魔法の言葉です。。

繋がりを創る有り難う。。

大袈裟に言えば、調和、平和を創り出す、有り難うです。

 

レジでお金払う時も、彼女は、優しい目で、目を合わせて来て、心の底からありがとうございます。。と、言ってくれました。。

彼女は飢えていたかもしれませんね。。

 

飲食店にパートに入ってみたら、何をしても有り難うと言わない、昨今のお客に愛想つかし、

だったら丁寧に接客するだけでバカ見る。

そんな気持ちになっていたかも知れません。。

でも、それも人の為にやるからそうなるのです。。

 

人の為とは、良い事の様に思いますが、どんなに綺麗事言っても、見返りを期待した行為です。

だから親切にしても、ありがとうと言われないならもうしない。。

言わない人には親切にしない。。

言ってくれる人にはする。。

そうなってしまう。。

差別と、区別を産む、、これが人の為と言う偽善です。

人の為とは、実はいい事じゃないんです。

自分の為にした事が、勝手に人助けにもなっている。。自利利他。。

これが、差別、区別を産ませない。調和を産む思考なのです。