心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

お盆の心の在り方。。只管打座

お盆といえば、昔からの風習で、ご先祖様をお迎えする日。。とされているが、、本来の由来は、もっと奥深いのです。

その内容は、去年の今日あたりのブログにたくさん書いたので、興味のある人は読んでみよう。。

 

お盆もそうだし、法事もそうだが。。

本来は、ご先祖様の為ではなく、自分の為にする物です。。

 

例えば今日は、永平寺で有名な、道元禅師で有名な言葉。。

只管打座について解説してみよう。。

 

只管打座とは、禅をする心構えとして、道元さんが大切にした言葉で、僕も大好きな言葉であります。。

 

また。。お盆は、この只管打座という心に改めて直す日。。と考えた方が自然です。

只管打座とは、直訳すると。。ただひたすらに座る🧎‍♀️。。という事です。

 

もう少し壊して説明すると。。何か、目的を持った心で座るのは、邪道であるという事。。

難しい😓ですね。。

 

私達は、無心になる事が大事だとは知っています。。

しかし、無心とはなんだ?と、言われると、よくわからない。。

何も考えない様にする事?

それはもう、何も考えない様にしようという目的がありますよね!

だから無心じゃないんです。。

ただ、ボーっとしてるだけ。。

 

座禅で集中したら、そのうち、思考が止まって、無心になれる?

これも集中しようとする目的がありますね。。

その先の集中は、一心不乱という、一種の興奮です。

本当の無心とは、目的を捨てる事です。

目的とは、自我なんです。。

目的があるとは。。何かの為に生きている。。という事です。。

 

何かの為に生きるとは、未来の達成の為に生きる事です。。

それは、地に足がついていない。。浮き足だった生き方です。

言い換えれば、今を生きていないんです。

 

無心とはイコール🟰無為という事です。

無為とは、目的や目標を持たないという事です。。

 

だから、無心とは、無為無心なのです。

よく引用する、老子さんの好きな言葉。。無為にして為せ。。無為自然。。

 

私達は、肉体の無い世界で魂として生かされていて、その魂に着物としての肉体があるのです。二つの心があります。

 

そして、肉体次元で、肉体を維持していく為に、動物と同じ、自己保存欲も、付け加えられている。。

 

なのに私達は、生かされている魂の本心を忘れ、肉体次元の、時間が遅く、時間と距離と、自分の肉体が分離した、相対世界に住んでいるのです。その相対世界に囚われているのです。

その肉体に付随した、自己保存欲を、ココロ。。と、勘違いしているのです。

 

魂の世界では、すべてが気で繋がる、絶対的存在です。。一体です。

だから、時間や距離とも分離がない、、一体です。。

ブラジルの人と、日本の人が、一体であるならば、日本人とブラジル人は、横にいるのと同じでしょ?

つまり距離や時間がなくなるのです。

気を扱える治療家が、ブラジルにいる人の遠隔治療ができる理由です。

魂レベルならできるんです。。横にいるのと同じですから。。

 

だから、時間や距離に対する囚われがない。。

それはイコール🟰。。何の為に生きるのか?という、生きる大義名分。。意味。。目標、目的も消える。。

難しいですね😓

 

でも、犬や猫。。または赤ちゃん👶をみてると解るでしょ?

何かの為に生きてるんじゃなくて、今を生きている。。

言い換えれば、赤ちゃんや犬が可愛いのは、なんの為に、しっぽ追いかけてぐるぐる回ってるの?

と、大人から見ると意味のない事。。何の為にそれがなるのか?分からない事に、夢中で取り組んでいる姿に癒されるのです。

 

無意味な世界。。これこそ無為自然なのです。

難しい😓でしょう?

 

まさに、大義名分の無い、、意味のない、為にならないことをしても時間の無駄な事?だ。。と、。。。意味があると、頭脳で認知されたこと以外は無意味だとやらない。。

 

これも、時間は有限であるという肉体次元に生まれる、囚われ、効率主義の賜物です。。

 

でもね。。私達は本来、気の世界では、魂の世界では一体なんです。繋がっているんです。

時間や距離の制約も無い。。

 

その世界で生かされてる命、、お盆とは、自分勝手に意味のある目的に向かって生きてる命を一度、空の世界にお返しし、生かされてる無為無心の命を頂き治す日なんです、。

これを色即是空空即是色と言うのです。

 

良いですか?

亡くなって、肉体の無い世界での仕組みを見たご先祖が、一番子孫に知らせたい事。。

それが、無為無心の心を頂き直しなさい。。という事。。

それが1番の幸福だと、。ご先祖は気づいているからです。

ならばお盆に迎えたご先祖様の為に、葬式坊主に大金払って法事をする事が、ご先祖の望むことでは無いという事。。

 

むしろ、そんな事にお金を使うのをやめなさい。。

自分の為に。。自分磨きの為にお金は使いなさい。。

そう思っているのです。

 

皆さんも.毎日の人生の中で。。何の為にこんな事してるんだ? なんでこんな無意味な事させられてるんだ?

そう思うでしょ?

でも、何の為にもならない様な事を、神仏は、わざわざやらせるんです。

何故? 無為無心の生命に気づかせるためです。

 

道元さんが、只管打坐、修証一等。。と言った。。

この仏の心に気づかせる為です。

何の為になる、なら無いと、区別せず、目の前に与えられし運命、出来事に、真摯な気持ちで向かい合える心。。

それを、一所懸命と言うのです。

 

最近は一生懸命に変わってしまったが。。

これも、同じでしょ。。

 

一所懸命は、今を大事に、目的は忘れなさい、。ひたすら励みなさい。。意味など考えなくて良い。。

これは、ただひたすらに座るのが座禅であり、仏の心であり姿なのだ。。

という、道元さんの心です。

 

一生懸命に変わったのも、やはり、時間への囚われからでしょう。。

一生懸命やれば、結果が出るよ!という目的主義です。

 

確かに目に見える世界、。因果の法則では、一生懸命の方が、意味のある評価される結果が出るでしょう。。

しかし、その出した結果、評価は、魂に借りた借金でもあるんです。。

魂が教えてくれるんです。

あなたは一生懸命やって大きな結果を得た。。評価も得た。。

 

しかしね。。魂を汚していますよ?

これからは、魂を磨き直してもらう事になるよ!

それで、リバウンドが起きるんです。

 

何の為になるのかわからな事でも、区別なく真摯に取り組める心。。

その心を磨いていく事こそ、魂を磨き、磨かれた魂は輝きを増す。。

 

その輝きに人が集まる、、お金が集まる。。

そのお金はまた、魂磨きに使われる。。

周りの人も輝き始める。

一体の生命を、頂き直していく。。

一体で成長していく。。

独りよがりな悟りは存在しないのです。

 

これが本当なんです。

 

それがお盆の心の在り方です。

 

今、何のためにこんな毎日を送るのか?

難病、恋愛、介護など。。

苦しい、割り切れない毎日。。

 

嘆いている人は、良かったですね。。救われていますよ!

嘆くのをやめて、真摯に向かい合い、一所懸命に生きてみよう。。

魂は磨かれ、磨かれた魂にふさわしい運命が、向こうからやってきます。。

向こうからやってくるのです。

こちらから、取りに行かなくて良い。。

果報は寝て待てです。

 

いそがば回れです。。