若い頃は、有名になりたかった。。
何故かと今思えば、やはり有名になるという事は、飛び抜けて自分が優秀な人間であるという証明になると、思っていたのです。
でも、その裏には、自分は、人より劣っていると思われたくない。
という不安が根っこにはありました。
今は、地道が一番だと思って、淡々と過ごしています。
有名、無名 老子講義という本の中に、その事について面白い事が書いてありました。
雑巾という名をつけてしまうと、その布は、雑巾以外の、使い方が出来なくなる。
つまり、名をつけてしまう事によって、行動範囲を狭くさせ、自由自在な魂を萎縮させてしまう。
修行時代。私は何人かの先生から、学んだのですが。。
その中の1人の先生が、有名にならない様に。。有名になったら終わりだ。
と、口癖の様に言っていました。
意味までは教えてくれませんでしたが、僕は、この老子講義を、思い出し、有名になると、有名である事に囚われ、有名である事に、合わせようとする。
有名人らしい振る舞い。。言動をせねばならない。。
自分に対する期待を裏切ってはならないと、他人の期待に合わせるなど、
本来の自分でいられなくなるから。。だと理解してきました。
皆さんの日常にもたくさんあるはずです。
たとえば、保母さんの資格を持ってるのだから、保母さんの職に就かねばならないとか。
ねばならない。。こうありたい。。というのは、人からこう見られたい。。という 心が中心になっていて、自分が本当はどうしたいかが、見えなくなっています。
自分の肩書きなどを、一度外して、本当は自分はどうしたいのか、問いてみましょう。
国家資格に囚われず、やってみたい仕事に着けばいい。。
今は今です。。
もっと皆さんは、自由自在なのです。名前に囚われていませんか?
無心とは、無名です。