古武術の世界や、合気道の世界では、脱力する事が大事だとされていますが、脱力しようとする事と勘違いしがちです。。
整体術でも、同様で、脱力しようとする事を、力を抜く事だと思ってしまう人が多い。
力を抜こうとする事も、力みなのだと思います。。意識でやってる行為ですから。
だから武術では型稽古が重要視され、こうすると自然と脱力していき、脱力したと同時に、今まで動かなかった無心の心、無心の筋肉が、動き出す。。
その無心の動きに、意識的な筋肉は抵抗できない。。
だから、中に入れる。。ぶつからない。。無力化して、一体化できる。。調和する。
そういう仕組みの中で、訓練します。自然とそうなる。。という 世界に飛び込んでいくのです。お任せの世界です。
本当の脱力とは、意識的な脳、筋肉の働きを止め、代わりに無心が動き出す。。
転換力、抑制力、呼吸力です。。
日常生活で言うと、脱力するとは、今を受け止め、受け入れる事です。。
今に抵抗して頑張ろうとする心は格闘技です。。なんとかしよう。。なんとかしてやろう。。という力みに世界です。
それでは相手をぶちのめすまで終わらないのです。。
誰かから、幸福を横取りするまで終わらない。。
今を調和させるのです。。それには今を受け入れる事です。
今、どんなに自分の想いと違う事が起きていても、それを一度受け入れる。。
脱力するのです。。すると無心エンジンが動き出す。。
無心エンジンによって動く思考、そして動きが、技であり、術です。
武術も整体術も、術というのは、本来、無心エンジンを働かせた技術です。
あるがまま術と言ってもいいでしょう。。
無心の世界は、自分が全て、全てが自分の、呼吸を一つにした調和の世界です。。
今を受け止め、受け入れると、執着を手放した事になり、その分、無心を覆っていた邪魔が退くのです。。
すると、自然と動き出す世界がある。。色即是空空即是色です。
それが術です。。オートマチックの車。。ドライブを入れたままで、ブレーキから足を離すと、勝手に動き出しますよね!
あの感じをイメージするといいでしょう。。
勝手に動こうとするものを封じ込めている。。ブレーキを踏んでいる足が、執着、こだわり、思い通り、自分の都合です。。自分だけ守ろうとする心です。
だから動けない。。動けないから無理矢理目標を作って、ブレーキを踏んだまま動こうとする。このまま走り続ければ壊れてしまう。。
そして体を壊し、鬱になったりして、踏んでるブレーキを離させようとします。
今を受け入れるだけで、ブレーキから足を離した事になる。。
すると、勝手に時計が動き出す。。運命が動き出す。。
それに乗って行こう。。どこにいくのかわからないが、どうやらこの乗り物に乗っていけばいいようだ。。
地図なしで山道を走っていると、今、何処走ってるのか分からなくなる。。その不安とウラハラに、一体、何処に出るんだろう。。という楽しみも生まれる。。
へえ! ここに出るんだあ。みたいな。。
カーナビ頼りの旅には不安はありませんが、楽しみもない。。
行き先を決めない旅行の楽しさ。。があります。。
不安があるからこそ、成長に繋がる。。
動物は迷いはないが、悟りもない。。と言った人がいます。
災い転じて福となる。。
煩悩即菩提です。。
難しいですが。。大事な事です。