日本人初のミシュラン三つ星を貰った人が、自分のやってきた事が正しかった。。
と、言っていました。
金メダルを取った人もよくいうセリフです。
水を差すつもりはありませんが、私は、自分の目標にしたことが、達成した時に、今までのやってきた事が、正しかったと証明される。。という考え方は、間違いだと、思うのです。。
大きな結果が出るまで、自分のやってる事が正しいか、どうか解らないなんて事はないはずです。。毎日、自分が正しいと思う事をすればいいだけです。。
それを、毎日精度を上げて、修正していけばいいのです。
それを人に評価されるまで、正しいかどうか解らないという事はありません。
自分の中で正しい事と、他人の評価は同じではありません。
では、銀メダルだった人、料理人で、ミシュランを取れなかった人は、間違えた人生で終わるのでしょうか?
そうではないのです。。
例えば、ミシュランの星を貰いやすい料理を分析、研究したかもしれないし、それが本当に自分の出したい味、美味しいと思う味なのかどうか。。
私はミシュランになんか、名前載せるな! という料理人の店に行きたいタイプです。。俺の味がミシュランの記者に解ってたまるか〜。という人のが好きです。
また、金メダルを取りやすいルールを分析、研究し、自分の柔道でない、反則を取りやすい柔道で金メダルを取ったとしたらどうでしょうか?
それでも、本当に自分のやってきた事が正しかった。。と言えるでしょうか?
芥川賞とか貰う作家の本は、誰が読んでも面白いでしょうか?
誰が決めてるんでしょうか? 決める人の好みに寄せてはいないでしょうか?
皆さんの本箱の宝物の中に、芥川賞作家の本がありますか?
私は、自分が美味しいと思う料理を提供し、自分のしたい柔道をし、自分の面白いと思う本を、正直に書けばいいのだと思います。。それが、自分のする正しい行為です。
自分が一番解っているはずです。。
それが、評価を受けようが受けまいが、それを、実践できてる人こそ、自分の人生に成功している人なのだと思うのです。
汚い店だけど、常連がいるお店。。芥川賞は取ってないけど、ファンの作家いますよね?自分の持ち味を、喜んでくれる人がいるのです。。それが少ない、多いではないのです。。流行ってない店が落ち着く人もいるのですし。。
評価されようと、自分以上の自分の作品を作ろうとする。。評価に合わせた自分、作品を創る。。寄せる。。これは、本来の自分の持ち味に、感謝できてない事です。。
それをせずに、地に足をつけて、自分が美味しいと思う料理を振る舞えばいいのだと思いますね。。
そういう店、店主は気持ちいいですよね。。
自分の美味しいが、お客さんにも美味しい。。が一番嬉しいと思うのです。
そういう常連客を大事にする理由で、取材を拒否し、有名にならない様にする店主の方が、本物です。。