整体にくるのは、自分に都合の悪い症状を、治して欲しい。。という事で来店される訳ですし、治してくれる事に対する代償として、お金を払っていただける訳です。。
それは、当然ですし、私も、自分で言いますが、治す技術は、かなりある方です。。
ほとんどの方の期待にお応えすることができます。。
しかし、私のブログを見てくれて解ると思いますが、私が整体院を営んでいる、1番の理由は、自分に不都合な症状。。という同士を通して、自分を知るチャンスですよ!
という事を、一番重要な事だと考えています。
目に見える世界だけで見れば、自分に不都合なものさえ無くなれば、幸福になれる。と、思い、完治させる事を目指すのですが、はたしてそれで正しいでしょうか?
自分に起こる症状とは、自分の心身の恒常性。。バランスを保つのに必要な出来事です。。
目に見える形で出てくる。。症状を通して、見えない世界、本当の自分を知る事ができるのです。。自分はどういう役割を持って生まれたかを教えてくれるのです。
それは、消し去る存在では無く、自分を教えてくれる、自分の本当の生き方を教えてくれる同士なのです。。カーナビの様な存在です。
自分が親だとすると、手を繋いで歩く子供たちのような存在です。
勉強もできて、スポーツも優秀な子供もいれば、病気がちであったり、障害があったり、知恵遅れだったりする子供もいるでしょう。。
でも、お母さんは、どんな子であっても、自分の分身だと。。大切にしますよね。。
覚悟を決めて、障害を持つ母親としての生き方を、見つけていくでしょう。。
その生き方が、そのお母さんにとっての、その人らしさを、現しているのであります。
テレビなんかで、障害を持つ子の母親は、人間レベルが高いですよね!
あの、盲目のピアニストのお母さんも、とても雰囲気がいい。。
自分に向かい合う時間が多いからです。
そして、そういう器があるんです。。もともと。。だから安心して、子供の魂が、そこに生まれてこれる訳です。
障害を持って生まれた自分を、大切にしてくれる器のお母さんから生まれるのです。
大きな症状、病気を持つ人も、それを受け入れられる器があるんですよね?
気づき力、理解力が高い人です。
だからこそ、症状だけを消し去ろう、完治させようという事だけに囚われるのでは無く、自分に起こりやすい症状。。病気は、自分に気づき、自分を理解させてくれる。。
我が子の様な存在である。。という 理解をしていただいて、手を繋いで、一喜一憂せずに、生きていける生き方を見つけるのです。。
不動心です。。目に見えるものに、善悪をつければ、一喜一憂してしまい、心が揺れに揺れて、車酔いを起こすのです。。吐き気をもよおすのです。
自律神経失調症とは、この目眩の様なものです。。
目に見える世界に、善悪をつけ、一喜一憂しすぎているのです。
症状という我が子との付き合いの中から、生きる事の本質を理解していけば、一喜一憂せずに、淡々と楽しく生きていける。
自分を知るとは、一喜一憂の揺れ幅を狭まる事です。。
一喜一憂する人は、自分を知らないのです。。
重症の方ほど、この気づきのチャンスがでかいのです。。
例えが悪いですが、症状。病気とは、自分の腹から生まれた、症状のある子、病気のある子だと思えば、子供達を消し去るのではなく、どう覚悟を決めて一緒に生きていくか。。その覚悟が悟りとなり、見えなかった幸福に気付けるのです。。