ぼくのブログで、受け入れながら生きる。。事を、努力しなくていい!
と、考えてしまう人がいるのは無理もないですが、そういうことではないのです。
言葉では説明しにくいですがあえて、芝刈り機に例えてみましょう。。
芝刈り機が通った後は、刈り上げ頭の様に綺麗ですよね。。
芝刈り機の刃は、進行方向と逆に回っているはずです、。
だから進みながら、刈り込んでいける訳です。。
これが受け入れながら生きる。。
天命を信じて、人事を尽くす。。という事です。
目標に早く着くことを目的にすれば、芝刈り機の刃も、進行方向と、同じ向きにすれば、抵抗なく、芝は刈ることができないが、目的地に早くはつけます。。
一般的に努力というと、早く目的地に着くための努力と言えます。
しかし、誰よりも早く目的地に着いた達成感は、一時的なもので、直ぐ虚無感に陥ります。
そして、自分の通って来た道を振り返れば、芝は、全く刈られていない。。
つまり達成感以外、何も残らないし、達成感も消えます。。
しかし、本当の人生の仕組みは、目的地に早く着く事ではなく、その道筋に生えた芝を、綺麗に刈り込みながら進む道なのです。。
もっと奥深い説明をしましょう。。
人間の運命、人生とは、過去世で間違えた事を、修正する道。。
それは、過去に自分で作った業を、刈り込みながら進む事なのです。
巻き込みながら進む。。刈り込みながら進む。。
受け入れながら進むのです。。
これは、逆行。。という言い方もあり、間違えたところまで戻りながら、軌道修正しながら進む。。
野球のピッチャーの投げるボールも、進行方向と、逆回転しながら、キャッチャーミットに吸い込まれますが、実は、人生の、あるいは運命のしくみは、芝刈り機の様なものです。。
歯を逆回転させながら、過去世に作った間違いを、呼び込み、刈り込みながら進む。。
それが努力や頑張り。。という 表現は、ぼくの中では、当たらないのです、。
パックマンみたいに、芝を刈り込みながら大きく、強くなっていくのです。
余計解りにくくなったかもしれませんが、受け入れながら進むとは、努力をしなくていい。。
頑張らなくていいということではなく、受け入れながら進む努力をする。。進ながら受け入れるでもいい。そういう与えられた努力を全うする事です。
そういうことでしょうか?
人事を尽くして天命を待つ。。そういう努力でなくて、天命を信じて、天命を受け入れて人事を尽くす。。
与えられた役割を全うする。。
与えられた仕事を全うする。。
一所懸命ですね。
そちらが先だということです。。
偉くなろうとする努力、出世しようとする努力が先ではない。。という事。。