心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

老子の言葉①

 

老子さんの言葉は、心現れます。。

今回は、新興宗教が徳を得ようと、人の為にする行いが、実は、徳への囚われとなり、徳が離れていくのだ。。という事に気づいて頂きたいのです。。

新興宗教にハマっている人は、自分の間違いに気づかせてくれる人に出会う事が少ない。。

だから、辞めない。。

でも、老子さんは、ちゃんと答えています。

 

徳というのは、積もうとして積むものではない。。

そういうものに囚われず、無為自然生きる人が、自然に徳を積んでいるのです。

 

これは、日常生活で、人に評価される為、尊敬される為に、それを狙い、努力して、行動する人が、真の信頼を得ない事と同様です。

無為自然に、行う、行える行いこそ輝く。。

為を捨てていく事こそ、無為自然で、徳を積み、またそれを自然と与えている人です。

 

徳の高い人ってどんな人?

「徳が高い」とか「徳が低い」といった表現を使うことがありますよね。
「徳が高い=人徳者=人に尊敬される人」
…というぼんやりしたイメージでこの言葉を使っている方も多いのでは?

 

老子によれば、「徳がある人」というのは、
ことさらに“徳”を意識することもないのだといいます。

 

すなわち、人から尊敬されようとか、栄誉が欲しいとか
名声が欲しいとか財産を蓄えようとか…
そういった私利私欲からフリーであり続けられる人こそが
いわゆる「徳のある人」というわけです。
このような老子の考え方は、次の言葉によく表されています。

 

「上徳不徳、是以有徳」
(上徳は徳とせず、是を以て徳あり)

 

徳の高い人は徳を意識することがない、だから徳から離れないのだ。
…ちょっとピント外れかもしれませんが、
本当のお金持ちが、あえてお金に執着しないのと似ているかもしれません。
「欲しい!欲しい!!」オーラを出していても手に入らず、
集まるところには自然と集まってくる。

 

お金も徳も、案外似たようなものなのかもしれませんね(笑)。

己への執着を断ち切ればラクになれる

徳のある人の逆は…徳の低い人ですよね。
老子によれば、
「徳の低い人は徳をなくすまいとしてしがみつく。→だから徳が身につかない」
この教えは、「下徳は徳を失わず、是を以て徳なし」という言葉で残されています。

 

さきほどと同様にお金の動きに重ねてみると、
確かに、自分の私利私欲に執着して財産を手放さない人、
奉仕的でない人は、いずれは手にしたものを失ってしまうかもしれません。

 

どのようなものであれ、他の人が望んでも手に入れられない
幸運が自分に回ってきたのは、たまたま“運”の巡り合わせが良かったから。
そう考えて、その幸運を独り占めしたりせずに潔く手放す覚悟がある人こそ、
真に“徳のある人”と言えるのではないでしょうか。

 

ともすれば人は、ラッキーなことは自分だけで独占したいと思うもの。
手にしたものは「手放したくない」「ずっと独占していたい」と望む生き物です。
しかし、そんな時こそ、思い切ってその手から解き放ってみてください。
自分自身もまた、執着やプレッシャー、あらゆるものから解き放たれて
安らかな心境に至ることができるものです。