子供の頃出会った素敵な大人。。とは、自分のこの先の人生の道標となるものです。。
凄いというより。素敵である事。。
凄さとは、目に見える世界です。。凄さの内面を見る目を養う事が大事。。
素敵な大人だなあ。。と、思った時、自分もこういう大人になりたいんだ。。
という、自分に潜む、潜在意識に気づいた瞬間と言えましょう。。
僕の場合。。記憶で、最初に素敵なおじさんだなあ!
と、思ったのは、高校生の頃、初めて行った、整体院の先生でした。。
僕の見てきたそれまでの大人には無い。。純粋さを失っていない、自由な生き方を感じたのです。。
一人でやってる訳ですから、長い物に巻かれる必要もありません。。
言葉使いは悪いんだが、なんだかとても優しい。。そんな人でした。。
大好きになり、通いました。。
先生も、僕が懐いて可愛いかったんでしょう。。高校生の僕に。整体を教えてくれたりしました。
一匹狼だなあ。。かっこいいなあ。。優しいなあ。。こういう大人もいるんだなあ。。
と、思ったのをよく覚えています。。
僕が整体師を目指したきっかけも、このおじさんですね。。
このおじさんとの出会いがなければ、整体師という道はなかったと思います。。
それと同様に、また、今の僕を見て、興味を持つ子供さんもいる様です。。
先日来た、小学生が、家で、お母さんに、僕に対する興味を話してくれたようです。
嬉しいですね。。
僕のようなおじさんに興味を持った子供は、きっと、僕のようになるでしょうね。。
今、こういう大人になりたい。。という大人は少ない様に思いますね。。
凄い大人はいっぱいいるでしょう。。
しかし、素敵な大人はいないですよね。。
何故なら、目に見える結果ばかりを追い求める、求めざるおえない現代においては、凄さ。。という、目に見える結果が必要なのであって、素敵さという、内面の美しさは、役に立たないからです。。
だから、心を養う事に、時間や経験を使わず、目に見える結果を、最短で実現することばかりに、エネルギーを使うのです。。
それが、意味ある生き方、価値ある生き方と、教育されているからです。
凄さというのは、意図的に作り上げることができます。。
しかし素敵さは、毎日の心の在り方の継続で出来上がるのです。。
どちらが大事なのか?と言えば、素敵さなんです。。
今の子供、若者達が、目標にする大人がいない。。
それは素敵だと感じる、内面の充実した大人がいない。。という事です。。
これは、現代の大反省点であるはずです。
凄さから、素敵さへ。。大谷くんが。165キロの球を投げる凄さは今だけです。。
凄さは限りがあるんです。。
素敵さは、積み重ねていけるのです。。
それは、歳を重ねるという事です。。
子供達が、興味を示す様な、素敵な大人になる事。。
それは自然である事。。と、イコールであるから、誰でも出来る事です、本来。、凄くなろうという方ばかり見てしまうから、不自然すぎて、純粋な子供達に響かないんです。。
自分の素敵さとはなんであるか?
大人達は振り返る必要があります。。
凄さという鎧を脱いだ方が、素敵なのではないか?
素敵さとは、凄くなろうとする事ではなくて、自分にとって普通になる事です。
他人と比べての普通ではないのです。。自分の普通は、自然な自分です。。
その普通の自分こそ輝くのです。。
肩肘張らずに、私はこの程度のものでございますが、日々精進しております。。
これでいいのです。