心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

立場と言う立ち位置

政治家と分科会の意見が、全く合わない。。

何故、一緒に議論しているのに、平行線を辿るのか?

 

これは、私達の喧嘩もそうです。。

 

それは、自分の立場から見れば、それが正義だからですね。

政治家には政治家の、目的性と言う方向性がある。。正義がある

 

分科会には分科会の目的性。。方向性がある。。正義がある

経済界には経済界の目的性、方向性がある。。正義がある

 

労働組合には労働組合の目的性、方向性がある。。正義がある

 

立場と言う物が無くならない限り、立場の目的性は無くならないから、目的性同士の衝突も無くならないのです。。正義の衝突が起こる。。

 

意見がまとまる時、それは、自分のたちの立場を断捨離した時です。。

 

それをするには、例えば、国民から見れば、分科会の尾身さんが言っている事の方が、私達の立場に近い位置からの目的性、正義を述べているので、共感できるし、政治家が悪者に見える。。

でも、もし、私達が、政治家になったら、きっとその立場を知る事で、政治家の正義に鞍替えしてしまうのです。。

人間の議論、喧嘩とは、組織の論理、立場、目的性と言う正義の衝突なのです。

人は、所属した組織によって、正義を変えてしまえるのです。

 

でも、肉体を持った人間である以上、食べていかないと生きていけない。。

食べる為に給料をもらわないといけない。。

安定した給料を貰う為には、安定した組織で、その組織のイエスマンになる事が、一番、食べる事については安定するわけです。

 

人間の性ですから、致し方ない。。それが正義となります。一つの洗脳です。

 

ただ。それを前提に、おたがいがお互いの立場、正義を聞く機会も必要です。

政治家がなぜ、オリンピックを強行しようとするのか?

きっと政治家になってみれば分かるのでしょう。。なんらかの正義があるのです。

組織の論理、正義があるはずです。

 

夫婦喧嘩も同様です。旦那の立場と、奥さんの立場正義は違うのですから。。

自分の立場から見た世界だけで、相手を責めてしまう。。

自分は正義で、相手は悪だと。。

でも、相手からしたら、自分が正義なのです。。

立場が違うからです。

 

そんな時、どちらかが折れる事で終わるのでしょうが、それでは折れた方の、相手に対する不満は無くなりません。いつか違う形で仕返しされるのです。

その前に、相手がどんな立場、目的性、正義で生きているのかを聞いてみるべきです。。

 

そうすると、あーー。そういう事なら、そういう行動も、仕方ないな。。

私でも、あなたの立場なら、そうするかもしれん。。

と、許せるかもしれませんし、そういう立場である事を知らずに、一方的に責め立てた自分を反省するきっかけにもなります。。

 

そうすると、お互いが、自分の立場に融通性を持ち、分かち合える部分が増えます。。

 

僕がいつも、目的、目標を持つ事は、深い意味では良くない。。

というのは、目的性、目標性を持つ事イコール。。

自分の立場、都合、正義を強くし、そこに、衝突する敵が産まれるからです。

 

政治家と分科会の様に、目的性を強く持ちすぎると、自分の意見を通すことばかりに躍起になり、政治家が何故、こんな当たり前な事に賛成しないのか、腹が立って、余計敵対してしまうからです。。尾身さんが最近イライラしてるでしょ?

でも、尾身さんが政治家になったら、やっぱりオリンピックに賛成するでしょう。。きっと。

 

それよりも、お互いの立場に立って考えてみながら、どこで手を取り合っていけるのか。。

手を取り合った所を拡げて行くようにするのがいい。。

 

大事な事は、相手の立場に立って見ること。

または、立場の話を聞いて見ることです。

そうすると、自分よがりの正義基準で、人を責めていた事に気づく。。

みんな立場があるのです。。

 

その立場を理解した上で喧嘩するなら。まだ建設的な喧嘩となるでしょう。。