当院の駐車場は、少し大きなクルマはとても止めにくいと思います。。
でもね。
僕はお客さんが、わざわざ難しく、一発で止めようとするのを不思議に思うんです。。
だって、反対側は通路で、その通路の向こう側の駐車場は誰の使ってないのだから、そのエリアを使えば、もっと安全に楽に止められるのになあ。。
人間は、ラインがあると、そのライン内に入れないといけないという、囚われがあります。。
そのラインに囚われてしまうんです。
似たような現象で、昔は、狭い道でも、センターラインが引いてありました。。
でも、最近、そのセンターラインを消す工事が多くなされています。。
何故、一度引いた道路のセンターラインを、わざわざお金をかけて消すのでしょうか?
はい。。その方が事故が減るからなんです。。
どういう事でしょう。。
狭い道でセンターラインが引いてあると、そのラインからはみ出なければいいだろう。。
と、対向車が来ても、お互いがスピードを落とさないんです。。
それで、ミラーがぶつかる。。
でもセンターラインを消すと、狭い道で出くわした対向車は、お互いが、どちらが止まって待った方がいいだろうか?
と、間を置いて考えるんですね!
だから、どちらかが徐行したり、止まって待ったりする事で事故が減ったんです。
私達人間は、誰かに基準を作ってもらう事で、それに従えばいいだけだ。。と、楽なきがしますが、自分で判断する。。という頭脳がどんどん退化しています。。
以前言いました。。人間の成長とは、予期せぬ出来事に対応できる呼吸力を養うことだと。
センターラインのない、狭い道路での対向車は、山道でもそうですが、予期せぬ出来事です。
あーいう場面で、さっと、広いところまでバックして、対向車を行かすドライバーは、予期せぬ出来事に強い。。
そういう人は、逆境に強いはずです。
官僚の世界や、大きな会社。。宗教団体でもそうですが、
組織に依存してしまうという事は、組織に都合のいい人間であればいい。
自分は判断せず、イエスマンであった方がいい。。
と、自分の判断力が麻痺してきます。。
僕がよく、目標は持っても目標の囚われるな。。
というのもそうです。。
世の中の流れにのって、世の中の目標に従っていれば楽かもしれんが、本当は自分がどうしたいのかがわからなくなる。。
それは、予期せぬ出来事に弱い、逆境に弱い人間となります。。
知らず知らずのうちに、私たちは、いろんな固定概念を植え付けたられて、それに支配されてしまっている。。
そのことで、自分の自由自在性を、狭くしているのです。。
駐車場のラインに囚われなければ、随分広いスペースがありますよね!
ラインに囚われず、広く使えばいい。。
強引に一回で入れようとして、フロントバンパー擦った人。。3人います。。
八方塞がりも、この様に自分の作り上げた思い込みで封じ込められているのです。
心の中のラインを消してみよう。。
そこには予期せぬ出来事が生まれ、同時に予期せぬ出来事への対応力もできるのです。
過保護はよくない。。
子供の教育も、同様です。