劣勝優敗 負けたから劣っているんじゃない 勝ったから優れているんじゃない
目に見える世界が、優勝劣敗の世界です。。
見えない気の世界、無心の世界は、逆で、劣勝優敗です。。
大相撲で、相撲に勝って、勝負に負ける。。という言葉があります。。
いい相撲を取っても、負けることもある。。
悪い相撲を取っても、勝つ事もある。。
目に見える世界では、よく、結果が全てだと言います。
勝たないと意味がないとも言います。。
言い換えれば、目に見える形で結果を出して、評価されないと意味がないという事でしょう。。
お金も名誉も手に入らない。
仕事も増えない。。
私達は、評価される為に必死で努力をする、。頑張る。。
その結果、結果を出す事のみに囚われ、結果を出す為の手段は、選びません。
例えば、事業で成功する為、上場する為なら、法に触れてなければ、客を騙してもいい。
従業員を犠牲にしてもいい。。
取引先を値引きいじめしてもいい。。
昔ながらの地元の商店を、潰してもいい。
それでも、売上、利益を上げれば評価されてしまう世の中です。。
これを優勝劣敗と言います。
そして、結果を出した人は、その過程も正しいのだと考えられてしまいます。。
結果を出してない人は、結果を出した人に、指摘をすると、笑われてこう言われます。
「結果も出してない奴から言われたくないね!悔しかったら結果出せよ。。」
こう言われて、くそーと、真っ当なやり方をやっていた人も、結果を出さなきゃ意味がない。。
発言権も与えられないと、皆が皆、道を外して、結果だけを出そうとするのです。。
しかし僕は思います。。
よく、トラック競技で、、マラソンをしているとします。。
足が遅くて、ある瞬間、一周遅れの一位になる瞬間があるでしょう!
僕は、目に見える形で、手段を選ばず一位になる事よりも、自分本来の、あるがままの一位を、それぞれの人が、やったらいいと思うのです。。
いい相撲が取れて負けたならいいじゃないか?
自分の相撲が取り切れたかどうか。。
それが大事です。。
自分の相撲が取れる様になって来れば、結果は自ずと出て来ますが、生まれ持った能力、身体の大きさもあり、優勝できるかどうか? 十両に上がれるかどうかも分からんのです。。
それでも、大事な事は、1番1番自分の相撲とは何か?
自分のいい相撲が、今日は取り切れたのか?
どこが自分の相撲らしくなかったのか?
反省して次に繋げていく、この毎日の継続、この真心こそ、死んだ後も持っていける財産であり、生まれ変わってからも、活かせる財産です。。
目に見える勝ち負けを超えた尊さがある。。
それは比較や結果を超えた世界です。。
これを「劣勝優敗」と言います。。
武術、武道の世界で大事にされている心です。。
だから格闘技と違って、武術は試合をして勝ち負けを決めないのです。。
見えない気の世界。。無心の世界、生かされてる世界では、比較や勝敗は、関係ないからです。
私達は。目に見える結果、勝敗の為の手段として毎日を使うのではなく、自分は、どの様に活かされて生きているのか?
それを知って、活かされるがままに生きる。。
これが、毎日をより良く生きる事。。
1番1番自分の相撲を取る事です。。
頑張ったら一位になったのでもなければ、頑張らなかったから、ドベになった。。という単純な世界に生きているのではないのです。
ゴジラ松井が、子供に、「どうやったらホームラン王になれますか?」
の問いに、松井は、「残念ながら、ホームラン王になる人は、生まれた時からそうゆう風に生まれているんだよ!」
と言いました。。
これは、自分が優秀だからホームラン王になったんじゃない。。
なる事になってたからなっただけ。。
言い換えれば、自分の相撲を取り切っているっいるだけですよ!
「君たちも、自分の役割に気づき、全うする事が大事だよ!」
そういう言い方でした。
僕は、自分の仕事を全うしているだけ。。
それが野球選手だっと言う事だよ!そう言う言い方をしました。。
そう言う因果関係を超えた気の世界に生きている。。活かされいる世界に目を向けて行くことだと思うんです。。
活かされて、どべならそれでいいのです。それも役割です。。
ドベをどう受け止めるか? その仕事です。
優勝してみたところで、それがその人らしい生き方でなければ、より良く生きていないのです。。
無理矢理な優勝は要らないのです。
大切な事は、自分が、今日1日を、全うする事です。