新興宗教団体というと、皆さんは、何を思い浮かべるでしょうか?
自分の知人で、1番身近な宗教団体に所属している人は、どこの団体ですか?
創価学会はいつの時代も、身近にいますね!
僕の若い頃には、統一教会や、真光の勧誘が多かった。。オウム真理教も多かったですね。。
幸福の科学も、芸能人を中心に、ブームだった事がある。。
最近でいうと、自宅に勧誘に来るのは、大概、エホバの証人ではないでしょうか?
エホバ王国。。という建物が、あちらこちらにあります。。
キリスト教系の、新興宗教団体だという認識以外は、僕が、詳しい事を知りません。。
でも、今回、エホバの証人の事を詳しく説明している動画を見つけ、とても勉強になったので、皆さんの周辺にいる、エホバ信者の考え方。。
または、自分の子供が、エホバに入信してしまった。。
いったいどんな教義でやっているのか?
興味のある人は、動画を見てください。
動画内でのポイントを上げておきます。。
①運命予定説を受け入れられない
②イエスキリストと、エホバの違い。。
③輸血禁止教義の理由
④終末論への囚われ
⑤聖書より、エホバ教義が大事
⑥異教のお祝い事参加禁止。クリスマスも禁止。。
⑦体罰推奨教義
⑧お金にはクリーン。。宗教ビジネスでは無い。
これを一つ一つ解説していきます。。
多くの宗教団体が、似たような囚われによって、自分で自分の首を絞めているのです。。
仏教や、老子教義は、逆で、宗教とは、囚われを捨てて、裸になる事。。
裸になる事こそ、元の教えと一体になる事、宗教だという事です。
仏教の教典に囚われるのではなく、仏教の教典は、きっかけにすぎない。。
覚えて忘れろ。。という感じです。。
あなたは、こんな事に囚われているよ!
と気づかせてくれるのが、仏教です。。
気づいたなら、手放しなさい。。手放したら教義は忘れなさい。。
キリスト教系は、聖書に忠実であると言えば、良い事の様に見えるが、実は聖書に囚われ続けて、魂を萎縮させているのです。
魂が先か、聖書が先か? 魂が先なのです。聖書に囚われていては、魂は開花しません。
聖書はきっかけです。。いつまでも囚われる対象ではないのです。
エホバにおいては、聖書よりも、アメリカの本部の選ばれた人が、聖書を独自の解釈をして、それを教義にしているのです。。
人間の欲望が満足できる、ある意味自分勝手な解釈に変更して、教義を作り替えて、それを正しい教義として、信者に守らせる。。
これは、明らかに間違いなんですけど。
そもそも、宗教とは人間の頭脳で解釈できるようなものではないのです。
仏教ではいち早く、そこに気づき、頭脳解釈を捨てて、全身全霊で感じ取る。。
感得する。。という行が生まれたのです。。
それが、禅や、念仏、題目です。。
人間的解釈を放棄した時、神仏と一体となり、神仏の教えが、流れ込んでくる。。
それを感じ取り、受け入れて、そのままに生きる。。それが宗教なのです。
難しいですね!
でも、僕のブログは、毎日、例え話を入れて、仏教の教えを書いているのです。
読んでいれば、仏教の教えを知ったと同じです。
エホバのポイントの8つは、新興宗教団体にありがちな、間違いについての特徴でもあるので、順次、説明していきます。今日はここまで。