実は、今、お客さんで、熱烈な松山千春ファンが来てまして。。
僕も、中学時代、松山千春に夢中でしたよ🥰
と、言ったら、DVDから、ファンクラブの会報から、その会報に私の文章が出てるとか。。
凄いのです。。
で、今、DVDを見ているのです。。
やっぱりいいですね。。
そんな中、松山千春は、コンサートで会話でこんな事を言いました。。
「子供の頃は、本当に貧乏で、早く物質的な貧乏から解放されたい。。と、頑張って来た。。
そして、お金を手にし、貧乏を脱出した。。しかし、貧乏を脱出してみればしてみたで、今度は元に戻りたくない。。元に戻ってしまうのではないか?という恐怖と不安が産まれた。。
その時、俺は、物資的豊かさを手に入れても、それで永遠の幸福がもたらせる訳ではないのだな。。と知った。」
これはいい言葉です。
僕も若い頃、同じ事を思い、それが今の僕の人生スタイルになっています。
求める人生から、気づく人生へ。。
求めて手に入れた幸福は、いずれ消えていくが、気づいた幸福は、2度と消えない。。
何故なら最初から在るものに気づいたから。。
仏教の禅でも同じです。
「何かを求めて座るのではない。。ただ座るのだ」
禅とは、悟りの為に座るのではない。。ただ座る、その姿こそ、悟りなのだ。。と。
只管打座。。ただ座る。。
これを僕風に言えば、幸福は求めるものではなく、受け入れながら気づく事。。
その気づきこそ、私達に与えられた永遠の幸福。。
一度、全身全霊で気づいた幸福は、永遠に無くならないし、その気づきを糧に、またさらに深く気づいていける。。
気づけた分だけ、道が開く。。見えなかったものが見えてくる。。
世界が違って見えてくる。。
そこに見えたものが、消えることはない。
しかし、求めて得たものは、残念ながら消えていく。。
消えない様に必死で頑張っても、消えるスピードを遅くするだけで、いずれ消える。。
それは若さや力も同様。
またその無くなる恐怖を常に抱えないといけない。。
人生のいい時期、悪い時期とは、株価みたいなもの。。
株価は、必ず暴落してバランスを取るでしょ!
地震や、気候変動もそうです。。
私達が、求め過ぎて汚した地球🌏。。その歪みを戻そうとするのです。
大切な事は、株価が上がっても、暴落しても、そこに一喜一憂しない心でしょう。。
株価が上がろうが下がろうが、それによって、求めて得た幸福は変動してしまう。。
そこに一喜一憂してしまうのです。。
でも、株価に関係なく、僕は僕なのです。。
僕がバッタになってしまうわけじゃない。。
何が言いたいか。。解ってもらえるでしょうか?
本当に私達に、産まれる前から頂いている、真の幸福とは、求める世界の変動に左右されないという事です。。
生きてる次元が違うからです。
不動心とはまさにそういう事。。
松山千春も言う様に、求めて得た幸福とは不安定なものだ。。
本当の幸福とは、求めた所にはなく、気づけた所にあるんです。
しかも最初から。。