私達は、人生という毎日を、成功と失敗に分けて考えています。。
そして、成功を目標に、成功しようと頑張る積極性と、失敗しない様に生きようという消極性と、同時に抱えて生きているのです。
そのバランスが崩れると、失敗しないように生きようとする消極性の方が強く出て、不安症になるんです。これが自律神経失調症です。
それを治すのは、成功という概念を捨てればいい。。
そうすれば、同時に失敗という不安も消えて、今をあるがままに生きようという、それでいいんだ。
これでいいのだ、。という自己肯定感が出てくる。。これが真の自信です。
人と比較した自信は、それを失う不安も同時に生まれるのです。
成功した高揚感、成功しているという慢心、優越感は、真の幸福ではないのです。
そのことを気づかせてくれるのが失敗です。。
成功という妄想を相殺する為に、成功の逆である失敗を体験させられるのです。
成功も失敗も、人間の大脳が創り出した妄想です。
それを気づかせて、成功とか、失敗という区別なしに生きられる。。
つまり全てを受け入れられる、全てにありがとうと言える心の次元がある。。
それが気づきであり、悟りです。。
私達の毎日は、それをしているのです。
思春期になると、自分は何の為に生きているのか?
と、悩む時期がありますが、あえて言えば、真の気づきを得る為に生きている。。生かされているのです。
幸福になる為に生きている。。という人がいますが、それは違います。。その幸福も、人との比較による成功だからです。
比較による成功という幸福感は、同時に比較による失敗という不幸感を創り出しているのです。
真の幸福は、気づきの中にあります。。気づいた分だけ、自分が既に幸福だった事を知るのです。思い出すのです。
例えば、皆さんが、今、悩んでいる事、。苦しんでいる事。。誰でもあります。。
そこで、皆さん。。何も考えずに、心の中で、「感謝、感謝」と、唱えてみてください。
すると、不思議な気持ちが湧き上がって上がっきませんか?
「あれ、今起きている事は、実はありがたい事なんじゃないの?、自分が勝手に苦しい出来事だと思い込んでいるだけじゃないの?」
そんな気持ちになります。
自分に降りかかる、思い通りでない出来事。。後悔してしてしまうような出来事。。
いい人ほど、その失敗をいつまでもくよくよして、後悔し続けてしまう。。自分を嘆いて責めてしまう。。
場合によっては、その失敗に対する後悔の念を消そうと、その失敗を帳消しにしようとする行動に移る人もいます。
でも、それは、目に見えない世界、気の世界の仕組みを知らないからです。。
毎日起こる出来事とは、たまたま起きた事ではなくて、あらかじめ起きることが決まっていた事が起きているのです。必然であって、偶然ではないのです。
だから占いが当たるのでしょう?
それを解っただけで、くよくよ後悔する必要がない事が解ります。
失敗という、自分に都合の悪い出来事が起きる事。。例えば、友人と喧嘩してしまった。。上司と喧嘩してしまった。。
それは、起きる事が決まっていた喧嘩です。。
それを後悔する必要はないんです。。喧嘩しないと、気付けない事があった。
起きるべくして起きた運命、縁です、良縁、悪縁、区別なく。縁とは、あらかじめ決まっていた縁が、今、起きた。。
その出来事は、回避しようのない出来事です。。運命に組み込まれた縁ですから。。
その出来事を通して反省して気づき、次に活かせばいいだけです。
その失敗という経験がなければ、今の自分はないのです。
失敗しないと気付けない事がある。。
ですから、失敗した事をくよくよ後悔するのではなく、その失敗で気付けた事を次に活かす。
新しい自分で生きる。この繰り返しです。。
喧嘩した相手にも気づきがあるのですから。。実はwin-winです。
お互い、喧嘩する事で、自分の業を、打ち消し合ってもいるのです。
結婚でも、業を打ち消し合う縁の結婚もあるという事です。
親鸞聖人も、自分を、罪悪深重凡夫と、死ぬまで嘆いていました。。
そして万人がそうであると。。
しかし、親鸞さんが本当にいいたかった事。。それは、自己が罪悪深重の凡夫である事の自覚です。
「自己が罪悪深重の凡夫であることの自覚」
自分はどれだけ罪を犯し、悪を行っているのか、、、
その自覚こそが大切なのだと説かれたのです。
そして、その自覚と同時に、そんな自分を認め、
罪を犯さなければ生きて行けない自分であることの自覚。
それを責めるのではなくて、認める。。受け入れる
それこそが人が生きて行く上で大切な事だと思います。