皆さんは、人生やり直せるとしたら、何処からやり直したいですか?
僕も若い頃は、ここからやり直したい。。というのがあったんですが、それは、自分が思い描いていた成功の道から外れた瞬間に戻りたい訳です。。
しかし、歳を重ねて、今、55歳で振り返ると、あー、これで良かったんだなあ。。
今、俺が生きてて良かったあ。。と、思えるのも、あの時のあの嫌な体験、あの時のあの屈辱的な体験。。あの時のあの悔しい体験があったからだなあ。。
と、思うのです。
人生に無駄無し。。
いや、無駄を受け入れることこそ、自分を知る事です。
僕の大学卒業後の履歴書をもし書くとすれば、いやあ酷いもんです。。
しかし、今になって、その体験、その体験からしか得られなかったであろう気づき。。
これが今に生きてるんですよ!
だから、もし神様が、お前の望む所からやり直させてやる。。
と、言われても、いや、僕は良いです。。というでしょう。。
より良く生きているとは、実は思い通りに生きた事ではなく、自分に降りかかる全ての体験を受け入れて、肯定できる事だと思うんです。
そういう意味では、僕が人生をより良く生きています。
今、皆さんの中で、あそこからやり直したい。。
と、思った人は、まだ青い鳥を追いかけている。。執着が手放せ無いのです。
災い転じて福となる。。これは仏教の煩悩即菩提と同じです。
煩悩即菩提は、煩悩転菩提。。とも言うのです。。
自分が災いだと感じたことの中に、あなたの本当の福がある。。
災いを転じることで、真の幸福がわかる仕組みです。
大切なことは、目を背けたくなる様な、過去の出来事。。それを恥ずかしい出来事という後悔のまま、潜在意識に残さないでください。。
それを残したままだと、それが業意識となり、来世でまた、その気づき治しをさせる為に、不都合な出来事を起こす必要が出てくるのです。
不都合な出来事を受け入れてみれば、執着が消え、あるがままな幸福が見えてくる。。
私達の人生も心も身体も、与えられるているのです。
ならば受け入れるのが正解なんです。
受け入れた時に、災いは福に転じる。。
気づきとなり、その気づきが、新しい自由自在な道を開くのです。
開眼です。
ね! あの時からやり直したい。。その勘違いこそ、受け入れて転じる事。。
すると、やり直しなどしたく無い。。という気持ちになります。
これで良かったのだと。。
また、いつが一番良かったですか?
という質問も、はなから、子供の頃とか、若い頃であろうと、決めつけた質問です。。
しかし、その答えが今。。と、言った人がいれば、それが正解。。
その人は、いつ死んでも後悔の無い。。毎日を災い転じて福となす。。
煩悩即菩提の心で生きる事ができていると言えるでしょう。ー