僕が、1日一食しか食べない理由。。
一番は、一食で充分だと身体が言うから。。
そして、もう一つは、身体を維持する目的以上に、グルメ目的で、つまり大脳の快感目的で、無駄に動物を殺生するのが良くないと思うから。。
仏教の戒律にも、殺生してはならないとあるが、真の意味は、私達人間は、肉体を維持する為に、動物を殺生して、頂いている。。頂かざるおえない。しかしその命を、人間の身体の細胞に昇華し、共に生きていきましょう。。頂きます。。頂きました。。という気持ちで食べなさい。。という事。
そして、修行によって霊格が上がってこれば、動物を殺生して食べなくても、空気からプラナ、気を取り込み、身体を創る事ができる様になる。。
時々断食するのも、その練習とも言えます。
言い換えれば、 私達が無駄に殺生せずにいられない理由は、霊格がまだ低く、直接殺生による食事をしないと、身体を維持できないからだ。。だから、動物には、ありがとう、、いただきます。。頂きました。。という合掌の心で頂きなさい。。という事。
そして殺生した動物の命を活かす為にも、正しい道を生きなさい。。というもの。。
僕にもそういう気持ちがあります。
だから、グルメ番組とか、ミシュランガイドに載ってる店の料理人が、テレビに偉人として出演する事。。美味しい店に行列で並ぶ事。。
いい気持ちがしないですね。。
ミシュランガイドに載る為に、どれだけ無駄に殺生し、捨てたんだろ。。そう思ってしまうんです。
ミシュランガイドに載る目的で動物を殺生して、美味い料理を創る事こそ、人間のエゴ。。殺生した動物の命を活かしていません。。
料理人として、一番恥ずかしい行為だと、僕は思うんです。
ミシュランガイドなんて、無くなった方がいいし、グルメ番組のコメントも、旨さの説明しかしない。。大食い番組もそうです。
無駄な殺生をやめただけで、食料不足は解消するのではないか?
無駄なグルメをやめただけで、食料品は安くなるのではないか?
人を殺してはいけない。。なんで?と聞かれて答えられるだろうか?
人間を殺してはいけないならば、動物も殺してはならないはずです。
人間のグルメ目的の為に、動物が殺生される事に心が痛まないのですから、人も殺すのはいけないという理由に説得力がないのです。
だから殺人事件が絶えない。。
殺人事件を犯した人が悪人なのではなく、グルメを楽しむ私達全ての心の奥底に殺人の心はあるのです。。戦国時代もそうだし、プーチンもそうでしょ?
ウクライナも結果、ロシア人を殺しているのです。
もし日本が他国に新略されたら、私達日本人も、きっと人を殺すでしょう。。
自分を守る為に人を殺すのは致し方ない。。そういう心があるのです。
戦争が起きなくなるには、まず、グルメ至上主義を反省する事からだと、僕は思うんです。
もちろんグルメを楽しんで頂いていいと思います。。
僕も時々グルメを楽しみます。
しかし、頂きます。。頂きました。。と、心の中で良いから唱えてから食べて欲しいですね。
僕は、声に出しませんが、そうしています。
だから、食した動物の肉が、喜んで僕の一部になってくれる。。
だから僕は少食で生きていけてるんじゃないか?
そんな気さえしています。
子供にもそういう教育をしてあげて欲しいですね!
殺生されたタンパク質は、僕らの恩人でもあるんです。
引用。。。
僧侶には戒律という守るべきルールがあります。
その中のひとつに「不殺生戒」という戒律があります。
「無駄な殺生は行ってはいけない」というのがこの戒律の真意です。
人は命をいただいてその命を保つ存在。
だからもともとは肉食を否定するものではないんです。
僧侶は食事は托鉢や乞食などの布施でいただくわけだけど、 いただいた食べ物はなんでも食べなければいけないという決まりがあった。
施主が肉を施せば、肉も食べなければならない。
そんなことからブッダも肉を食べることがあったという。
この不殺生戒はあくまで「自分のために殺生してはいけない」という戒律で、 肉食が身体を汚すなどという教えではない様です。
実は、そもそもブッダも肉食を禁止してはいないといわれています。
しかし、仏教が中国を経て日本に入ってくるときには 肉食は一切いけないということになった。
当時は肉や魚を食べる坊主をナマグサ坊主などと言って、 戒律を守らない破戒僧の代表とされたこともある。
今の日本ではお坊さんも修行の場以外の日常生活の中では 肉類を口にしているけど、 世間もそれだけでナマグサ坊主とは呼ばなくなりました。
妻帯ももはや一般的だけれど、 出家のイメージが薄まったからなのだろうか。