心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

自閉の子から学ぶ事。。

当院にも、自閉のお子さんが時々来ます。。

自閉の子は、僕の観察感でいくと、過敏タイプの仲間だと感じます。だから、似たもの同士な感じがして、それほど苦手意識は感じません。。

ただ、皆さん、自閉という言葉に囚われ、勘違いしている所があると思います。

自閉というと、引きこもりと同じ様に、心を開かず閉じこもっている子?だと思ったら間違いです。

逆に、心を開き過ぎていて、入ってくる情報が多過ぎて、処理し切れないから、処理し切れる分しか反応しない。。

言ってみれば、過敏すぎるが故のオタク化といった方がいいでしょう。。

 

例えば、目の瞳孔の開閉が上手くいく人は、急に眩しいとこに出ても、すぐ、眩しさを軽減できるが、瞳孔の作用がうまくいかない子は、眩しい場所が苦手で、故に、眩しい所に行かないでしょ?

自閉の子はそういう感じです。

いつも瞳孔が開きっぱなしで、情報の出し入れを制御できないのです。

だから情報の少ない場所に居ようとする。。情報が胸から入りすぎるのです。

胸が苦しくなるのです。

 

過呼吸の人が、パニック障害になるのに似ています。

 

そして、自閉の子と付き合っていて、分かって来た事。。

それは、私達の創り出した、言葉の世界に馴染めない。。という事です。。

私達は、言葉で会話する事ができます。。しかし言葉は、コトバの枝葉と書きます。

心に思っている事と違う嘘もつけるし、心と違う行動も取れる。。

 

自閉の子は、言葉のコミュニケーションが苦手です。しかし、だからこそ、言葉によらない正直な身体コミュニケーションには長けているのです。

だから、自然との交流は、言葉の社会に馴染んだ私達より上手。。動物や自然と、身体コミュニケーションを取っているのです。

そして、私達の言葉ではなく、身体から伝わる気のコミュニケーションを感じとってっいるのです。。

だから、僕の様に、気のコミュニケーションを取れる大人に安心感を感じるのです。

子供全般的に僕に安心感を感じる理由も同じです。

 

言葉というのは、お互いが、同時に喋ると成立しないでしょう?

僕が喋って、それを待って、喋り終わったら相手が喋り出す。。

これは、自他分離を起こすのです。

行って返ってという、時間と距離が生まれる。

 

これは、私と貴方の間には、壁があります。。他人です。私と貴方の間。。間には時間と距離があります。。

という一体感の欠如が生まれるのです。これが言葉の世界です。

 

言葉の通じない動物と、一緒に過ごす時、身体コミュニケーションで会話します。。

恋人同士抱き合うのもそうです。

言葉が要らないコミュニケーションとは、身体コミュニケーション。。気の交流という同時のコミュニケーションです。

音楽を聞くのもそうです。気のコミュニケーションです。。

 

本当に気が合った恋人、友人と一緒にいる時、会話が必要ない場合がありますよね?

逆に、一緒にいると、会話が途切れる間が怖くて、間を潰す様に、喋りつづけてしまう関係もあります。

言葉が発達して、言葉によるコミュニケーションが当たり前になった、自他分離感。。また自他分離感が生み出した常識。。それは、上下関係など。。私と貴方は他人です。。他人同士が付き合っていくにはルールがいりますよね?

そのルールを創って来たのは、男であり、大人であった訳です。

だから年上に都合のいい、男に都合のいいルールが存在していて、それが常識となっているのです。

つまり、言葉が発達した。大人の世界の自他分離感が生み出した。大人の常識、男の常識に、自閉の子は馴染めない。。理解できない。。

それが、大人の常識。。基準という視点で見ると、非常識に見える。。

自閉の子は非常識? それはただ大人の思い通りにならない。。という事ではないか?

大人の期待に応えない。。

 

しかし、待てよ! むしろ言葉の世界、言葉の世界が創り出した、常識こそ、間違いなのではないか? そんな気がしてきたんです。

 

自閉の子には、他人意識が弱いのだと思います。

皆自分の一部なのです。。

慣れた人、気の合う人ほど、他人ではなく、自分の一部とし感じているのではないでしょうか?

自分の一部に、いちいち気を使う必要もないし、意識する必要もない。。それが他人に興味がない様に見えているのかも知れません。

 

自分の手足をいちいち意識しないのと同じです。

自分の一部を、他人として認識しなさい。。と、教育されるのですから、戸惑うのです。

横にいる人を他人として、気を使いなさい。。それが人間関係だと、教える大人側の間違いもあるのだと思います。

自閉の子には、横にいる人は、貴方と場を共有して共存している人ですよ!

という教育が正しい。

その認識が脳で完成した時に、指差しをするのだと思います。

指差しが一つのバロメータです。

共有感ができれば、共有してる人との共有、協力コミュニケーションとしての言葉が、必要となるのです。

 

あくまで、私と貴方は、他人ですから、他人同士のコミュニケーションには、言葉が必要ですよ!と、教え込むのは間違いだと思います。

 

イルカも子供が好き