僕は、よく一人カラオケに行くんだけど、ひとりでカラオケする分には、不安など生じないですよね。。楽しさしかない。。しかし、誰かと一緒に行くと、自分の曲が入った途端に不安になる。。
これが人間が不安になる理由です。
どういう事でしょう?
歌うことを、ただ楽しむ。。ここに不安は生まれない、、。はずです。
しかし、今から歌う歌を、他の人はどう評価してくれるんだろうか? 失敗して下手だと思われないだろうか?
評価される様に、上手く歌えるだろうか?。。と、自分を外側から見る意識。。
それは言い換えれば、身体の中にあるはずの心が、自分の身体を出て、外から自分を見ている状態。。
幽体離脱と同じです。
また、乖離症も同じ状態。。自分から心が出てしまってまっいる為、現実感が無くなるのです。
赤ちゃんは、3歳までは記憶がない。。と言いましたが、あかちゃんは、3歳まで自分の容姿を外から殆ど意識しないからです。自分中心の世界です。
それは、野生の動物もそうではないでしょうか?
自分の容姿を、客観的に観察する経験がないまま死んでいく事でしょう。
自分の身体の内側から外側を見る👀だけ。。。つまりこれは、見えるもの全てを受け入れて生きているのです。それが無心です。
僕がいつも、人生のコツは、自分に都合のいいこと、悪いこと、区別なく、まず一度受け入れてみること。。というのは、受け入れた事で、外から自分を見ている意識が消え、自分の内側から外を眺める本来の無心に戻れるから。。
我に帰れるのです。
受け入れた瞬間。。良い意味の、脱力感、安堵感がある。。これは心が身体に戻ったから。。
幽体離脱から戻った時と同じです。
しかし、人間は、大脳が発達しすぎて、自分を鏡で見る意識。。客観的な視線が強くなる。。
その頃からの記憶があります。。
よく寝れた時が記憶がないのと同じです。
無心には記憶がないのです。
1日を振り返ると、思い出せる事は、意識的に生きてる時間だけです。
思い出せないほとんどの時間を、私達は無心で生きているのです。
記憶がない時間には、当然不安も無かったはずです。
今日の不安な出来事はよく覚えているはずです。
浅い眠り、頭に意識が残っている状態では、怖い夢はよく覚えている。。
また、当院には不安症な人が多いですが。。それは僕自身も過度の不安症が原因で鬱になった経緯がある人間である事から、不安症な人の気持ちも分かるし、不安症な人には、僕の様に、不安症である事を笑わず受け入れてアドバイスしてくれる人が必要だと知っているからです。
僕にはいなかった。
それがとても孤独感が強く、苦しい事だったから。。
当院は、不安症の人のオアシスとしての役割です。
多分、不安症の人が、違う整体院に行って、過度な不安を口にすれば、そんな事悩む事じゃないよ〜。と、笑われるだけです。
よく、不安症なお客さんから、今まで行った整体院では、私の質問に答えてくれない所ばかりだったが、先生はいつも即答してくれるから良い。。
と言われるのも、不安症の人の気持ちがわからないから答えられない場合。。質問がくだらない感じがしてうるさく感じて無視する場合。。また勉強不足で答えられない。。場合があるでしょう。。
不安症な人も、自分にいつもと違う不具合を感じた途端に、心が身体の外に出てしまい、外から病気ではないかと。。自分を外から眺めてしまうのです。それで癌じやないか?と不安になる。
割と男の人は、痛くても、気にしない。気にならない人が多い。こういう人は、鈍すぎる場合もあるが、心が、身体の外に出にくいから。。
男性と女性を比べると、我が道を生きやすいのは男性。。という意味でも、あまり自分の身体の症状を意識しない。。人にどう思われていようが関係ない。。俺流で行く。。という生き方が可能な男性社会、内から外への意識、無心だから体に対しての不安も生まれない。。だから整体にいかない。。
男女を足して2で割るとちょうど良い^ - ^。
例えば、テレビで事故で足を失った犬が、🐕とても楽そうに生きてるのを見たことがないだろうか?
あーゆう映像を見るたび。。やはり動物は、自分の体を自分の外側から見る意識が少ないなあ。。
だから他の犬と自分を比較する事もない。。自分の姿も知らない。。
ちょっと動きが不自由になった。。という自覚以外は、足がなくなる前と同じ心なのだと思う。。
身体は病んでも、心まで病んでいない。。これが犬から学ぶ事です。
僕がよく、良い人になろうともせず、悪ぶれて構ってもらおうともせず、自分のダメさを嘆くこともなく、また自分の優秀さに慢心する事もなく、あるがままに生きるのが一番良い。
風天の寅さんの様にね。。というのも、寅さんがもし、事故で手を失ったとしても、あるがままに生きてる寅さんは、きっと、自分の姿に囚われず、いつも通りの心で生きるだろう。。
と、思うのです。
ちなみに渥美清さんは、若い頃の病気で、片方の肺を全摘して、片肺なのです。
殆どの人が知らないでしょう?
つまり渥美清さん自身も、別に気にしていなかった。。という事。。
そういう心こそ、健康な心なのです。
もちろん病気が怖いのは当たり前です。
でも、病気に囚われて心まで病んでしまうより、渥美清さんの様に、片肺がダメなら取ってくれ、まだ生きたいし、やりたい事がある。。という心境でいられる事の方が、大事な事だし、私たちの目指す所です。