心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

子供が異常に負けず嫌い。。

お母さんからの、質問です。

まず、男の子は、本能的に負けず嫌いであり、それで正常です。

大人から見れば、そんなに負けず嫌いで大丈夫かあ?

と、心配してしまいますが、旦那さんも子供の頃は負けず嫌いだったはず。。

いつまでも負けず嫌いではいられないので大丈夫。。

社会に出れば、身の程を知ります。。

幼少期の負けず嫌いは、男の子の、成長の原動力です。。

 

ただ、じゃあ負けず嫌いを放任するのが良いのか?

それとも、負けず嫌いを戒めやめさせるでもなく。。

当院得意の論理、。自転車は🚴‍♀️転ばないと乗れる様にならない。。転べば乗れる様になる。

これです。

負けず嫌いで、勝って有頂天になったり、負けて悔しくて泣いたり。。

いろんな感情を体験させてあげる事です。。

 

その中で、大人ができる事は、考え方の転換の提案です。

負けず嫌いもいいけど、こういう考え方もあるよ。。

例えば、負けず嫌いの子にありがちなのが、勝てば有頂天。しかし、負けるとそれを素直に認めない。。

負けた相手を讃えない。。

誤審だとか。。俺は勝っていたはずだ。。と、あいつのせいで負けたんだ。。とか、自分が負けた事を認めない。。

こういう負けず嫌いを見せる子には、教えてあげないといけません。

 

柔道の🥋小川直也さんが、教え子が、試合に負けて、誤審だと。。負けを認めない態度。。

その態度を見て小川直也さんは言いました。。

「誤審だろうがなんだろうが、負けは負け。。それを認めて受け入れないと、強くなれない」

と。。

これは大事な事です。

負けず嫌いの子に取って、勝つ事は幸福、負ける事は不幸です。つまり不成功です。

だから、勝ち続ける事こそ、成功であり、幸福であるという執着がある子に取って、負けを認める事は、自分が成功できなかった。。という事を認める事になる。。

つまり、自分を不幸だと認める事になるので認めたく無いのです。

 

それで、俺は負けていない。。あいつのせいで負けたんだ。。誤審だとするんです。

コーチによっては、勝ちに執着する心が強い奴が勝つ。。

なんて根性論を叩き込む古いタイプの人も居て困るんです。

 

小川直也さんは。世界選手権で何度も金メダル🥇を取り、オリンピックでも銀メダル🥈を取った人です。

その人が。負けず嫌い人生の中で悟った事。。

それが、「誤審だろうがなんだろうが、負けは負け、、それを認めて受け入れないと、強くなれない。。」

ここに気づいたんだと思うんです。

 

野球の⚾️野村監督も、勝つ事に明確な理由はないが、負けるには明確な理由がある。。

と言っていました。

負けて覚える相撲かな。。という言葉もある。。

 

どんな理由で負けたとしても、そこには、、必ず負けた理由があるんです。

誤審であったとしても、相手ではなく、自分が誤審された事に理由があるはずです。。

審判が、潜在意識で、あなたを嫌いだったのかもしれない。。

人に負ければいいのに。。と、思われる様な、日常の態度を取っていたのかも知れない。。

それらの原因も、まずは負けを認めて、受け入れて、勝った相手を讃えない心では、自分が弱いところが見えてこない。。

せっかく負けたのに、負けた事で、強くなる事ができない。。

 

そういう事を、子供に教えてあげて欲しい。。

本当の、負けず嫌いとは、どんな負けでも認めて受け入れて、相手を讃えられる事。。だと。。

僕が20代の頃、整体の師匠に言われた事を、今でも覚えています。。

僕は、同僚の研修生に、何かを指摘されたんです。。何を言われたかは覚えていません。

でも、僕は、それは誤解だと弁解して認めなかったんです。。そこは覚えています。

それを見ていた師匠が言いました。。

 

「お前が今、仲間から指摘された事は偶然ではなく必然。。確かに誤解かもしれない。。

しかし、それは問題じゃ無い。。その前に、そういう事を今、同僚に言われるという縁。。必要性、必然性が、お前にあったのだ。。と、それを認めて受け入れないと。。今のお前に何が足りていないのか?に気づく事ができない。。お前は、今、誤解であったとしても、それを指摘された事を受け入れて、自分を見つめてみる事で、気づくことがあるはずだ。。その為に必然的に起きたんだ。。むしろお前が、お前の気づきの為に、相手に言わせたとも言えるんだ。」

 

ね!。。小川直也さんの話に似ていますね。。

この日以来、僕も、そういう気持ちで生きていますよ!

 

確かに、お客さんによく言われるんです。

先生は、自信の塊ですね。。って。。でもね、たまーに、先生って意外と素直なんですね!

と、言われることもあるんです。

それは、自分が人に言われた事は、それが正解、誤解区別なく、必然性があって言われたならば、何故、こういう事を、今、言われる必要性があったのか。。自分の心を見つめてみよう。。

そう思えるんです。

それで反省材料が見つかり、反省、転換するんです。

そういう僕の姿勢を、意外だと思うらしい。。