皆さんは、3位だったら、どう感じるでしょうか?
1 位が良かったのに。。と悔やむ。。
これは、3位であった事を否定していて、受け入れていない訳ですが、私たちは、3位を否定するからこそ、次、一位🥇になれる原動力となる。。とか。
3位で悔しいと思わない様な奴は、強くなれない。とか。
悔しがる奴こそ、強くなるのだ。。と、これが、僕らが植え付けられた思想です。
執着心が強い者が勝つと。。
でもね。。一位は1人しかなれない。。そこを競ってどうする?。。と言う考え方もあるはず。。
また、3位で良かったのかも知れない。。
優勝していたら、3位になることでしか、気付けない事が、気付けてなかったかもしれない。。その気づきこそ、僕に必要な気づきであったのではないか?
優勝を逃し、3位であった事。。それをありがとうと、受け入れる事でしか、気づけない自分の心があった。。
だから、3位なのだし、きっと3位で良かったんだ。。
いつも僕が言います。。人生のコツは、不都合な現実を、まず受け入れる事。。
と、言うと、いつも、受け入れるとは? どうやって?。。と聞かれます。
自分に不都合な事は.まず受け入れてみなければ、自分の不都合とは、余計な執着に元ずく物だと気付けない。。。。執着と言う心のゴミに、気づく事ができなければ、ゴミを捨てる事もできない。。
執着に気づき、そのサビを落とすことができれば、今までイメージできなかった新しい生き方に転換できる。。
より、自分らしい、あるがままな生き方ができる様になるのです。。
運命とは、その様に仕組まれた、決まっているが知ることの出来ない台本です。
3位になったのは、3位になる事に決まっていたから3位なのです。
偶然ではなく必然です。
それを、審判の誤審で負けた。。本当は優勝だったのに。。と、妬み憎み、怒るのか?
3位で良かったのかも。。今は悔しいけど。。もう少し時間が経てば、3位で良かった。。
と、わかる出来事が起きて、3位でありがとう。。と、3位になる事で気付けた、道が開けた。
新しい自分の心を知り、その心に従って生きてみたら、実に快適で、自分らしい、自分の好きな自分になれた。。
受け入れるとは。。自分で不都合な出来事。。
例えば、受験に落ちた、。女の子に振られた。。会社が潰れた。それをついていないと、不運だと、他人事にせず、俺は受験に落ちて良かったのかも。。女の子に振られて良かったのかも。。
と、その出来事を受け入れてみる事です。
ピッチャーで、4番になりたくても、誰でもなれる訳じゃない。。
なれた奴が優秀で勝ち組で、なれずに、外野で7番バッターは、不器用で負け組?
そうではないんです。
見えない魂の世界では、最初から役割が決まっているんです。
だから調和している、。魂の世界は調和しています。
それを全うするだけ。。気持ちよく全うできる心こそ、真の幸福の心。。
自分の役割を全うする心に、優劣も差別も区別もないでしょ?
心臓と肝臓の仕事に優劣がありますか?
身体の臓器は全て必要だから在るのです。
3位になった人には、3位にさせる事でしか気付けない役割に気づいて欲しいから3位なのです。。
それは、むしろ一位になる事よりも難しい😓。。
だから、魂年齢の高い人に、地味な役割、脇役は、回ってくるのです。
魂年齢が高くないと、脇役を気持ちよく受け入れられないからです。
本当の自分の魂レベルでの役割を知らせる為に、3位を体験させるのです。
そう考えてみる事です。。
僕は、そう考えて生きています。。
自分を知り、その役割を、各々が全うする。。
それがチームプレーです。。
その役割に優劣などないのです。
勝ち負けもない。。適材適所なだけ。。
そこに気付けた人こそ、真の幸福を手に入れた人です。
ただ、自分の役割を、淡々と、全うする事。。そこはいつでも平等なのです。
見える世界で勝手にそれを比較してるだけ。。
見えない世界では比較ではなく、調和なんです。
役割分担がそこに、ただ在るだけ。。