心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

イエスキリストが、言いたかった事

僕がいつも、統一協会であったり、エホバの証人であったり、カトリック系キリスト教だったりを、間違えた宗教。。邪教だと言っているが。。

イエスキリストが偽者だとは言っていないし、思ってもいない。。

 

イエスキリストが、伝えたかった事。。。それはお釈迦さんが伝えた事と同じであると。。

それを、解釈した西洋人の誤解が、現代のキリスト教なのです。。

さあ、イエスキリストは、弟子になんと言ったか?

有名な話があります。。

 

①我は天地を作る神である。。

 

これは、お釈迦さんが、産まれた瞬間に言った?と言われる有名な言葉。。

天上天下唯我独尊。。と同じであります。。

天と地を結ぶのは人であると。。

人は人間ではなく、天と地を結ぶ、霊人(ヒト)である。。

神、仏と一体である。。と。

 

イエスキリストだって、神と人間は別な存在では無い。。

私達1人1人も、神なのであって、神の分身である、かけがいのない命であると。。

言い残しているのです。。

しかし、現代のキリスト教は、神に対して、人間は地に平伏し、赦しを乞うシモベ。。。

全ては神の手にあり、神の意に背けば罰せられる。。地獄に落ちると。。

恐怖政治みたいな教え。。

だからキリスト教主信者は、いつも怯えて、神のご機嫌を取ろうとする。。

そして、隣人にも、このままだと地獄に落ちるよ!。。と、脅し勧誘する。。

それが善だと思い込んでいる。。

神を信じる者と信じない者が区別される世界。。

そこに既に調和が無い。。。

そんなものは本来神の世界には存在しない世界です。

 

イエスキリストも、私達は例外なく神の分身として産まれ、生かされているのであって、信じる者と信じない者が区別され、憎しみ合う世界は存在しないのです。

その勘違いが戦争を起こす。。

信じようが、信じまいが、同じ命です。そこに区別はありません。

 

②己の如く隣人を愛しなさい。。

これもそうです。。

己の如く隣人を愛しなさい。。

は、仏教の自利利他と同じです。

自分と隣人は同じ命。。。

自分は隣人でもあり、隣人は自分でもあるんです。

一つの命、全体の命です。

であるから。。自分を愛する事同様に、隣人も愛しなさい。。と言っているのであって、

自分以上に隣人を愛しなさいとか、自分を犠牲にしてでも隣人の為に生きなさい。。

とは言っていないのです。。

人の為に生きるのが善、自分の為に生きるのがサタン、悪魔👿。。と言う思想は、間違いです。自分と隣人を、分けて考えなさんな!。。と、イエスキリストは言うのです。

 

③御心のままに。。

これも、お釈迦さんの空になれ。。とか、老子さんの無為にして為せ。。親鸞さんの自然法爾

(ジネンホウニ)と同じ。。

 

生かされるがまま、お任せした信心で、毎日を生きなさいという事です。

これも、神仏と人間は、分離して、向かい合う存在ではない。。ひれ伏す関係では無い。。

共に生きている同士ですという事です。

 

同じ方向を向いて、一体で生きているのだ。。生かされているのだ、。

と言う事。。

親と息子の様な関係です。

空海さんの、同行2人もそうです。

 

イエスキリストの遺した、言霊は、深く解釈すれば、言っていることは、お釈迦さんと同じ。。同じ景色を見て、その景色を説明している。。

 

しかし、多分ですが。。。

西洋の西洋医学と、東洋の東洋医学の違い。。

物事をとにかく細かく分離して細かくして分析する事で、分かろうとする西洋人と、物事を全体で眺める事の中から、部分を理解しようとする東洋人。。

 

この理解の仕方の違いで、イエスキリストの言葉は、西洋医学的に。。相対的、分析的に解釈されてしまい、全体が消えて、せっかくのイエスキリストの教えが、骨抜きとなり、間違えた解釈で、憎しみ合う宗教になっているんです。。

縁あって、僕のブログを読んだ、キリスト教信者の方。。

本当のイエスキリストの遺した言霊の意味を知りたいならば。。それは仏教にあり、キリスト教には無いのです。。

 

「己の如く隣人を愛しなさい。。」

自分を愛する気持ちと同様に隣人を愛しなさいという事です。

隣人を愛する心同様に、自分も愛しなさいと。。

 

自分を愛せない人に隣人は愛せないのです。。

まずは自分を愛せる自分を知る事です。

自分を愛せない理由は頭脳🧠の囚われです。。

善人だから、優秀だから愛せるのでは無いのです。

 

それさえ外していけば、ダメ人間はダメ人間のまま、自分を愛している自分に気づくのです。

煩悩あるがまま本当の幸福を得られる。。

煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)

そして同様に、ダメな隣人をも、同様に愛せるのです。。

 

自分を愛して、隣人を愛すのに、条件など無いのです。。

神を信じていようがいまいが、そんな事は関係がない。。

そんなところで区別していたらいつ平和が来るのか?

 

信じているいないは関係が無い。。

何故なら、仏教では、「私達は、最初から仏の分身として、神の分身として産まれて、救われている存在だから。。

それを自覚しているかしていないか?の違いでしか無い、。」

それがイエスキリスト。。お釈迦さんの真意なんです。

 

神に赦されないと天国に行けないなんて事があるはずがない。。

神に背けば地獄に落ちるなんて事も無い。

 

そんな事をイエスキリストは言っていないのです。

キリスト教が好きな人こそ。。仏教を学んでください。。

そこには、イエスキリストが、本当に伝えたかった事があります。

 

イエスキリストの真意を割と正確に伝えている著書があります。。

奇跡のコースと言う本です。。参考までに。。