昨今においては、責任がかかるのはしんどい😓から、偉くなりたくない。。出世したくない。。管理職になりたくない。。
そしてまた、子育ての責任は重たいから、結婚したくない。。
それで、結婚💒を避ける若者が増えていますね。。
子育てとは責任なのだろうか?
仏教的にはどう解釈しているのか?
これは、二十代の頃読んだ、仏教系の二冊の本📕。。
同じ内容でしたので。。なるほど。。子供が産まれてくるとはこういう事なのか!。。と、
当時、既婚女性👩🍼の知人が、子供が産まれて奇形児だったりしたら怖くて嫌だから。。子供は欲しくない。。と。。
子供ができる事を怖がっていたので。。。
仏教では、こう解釈されているんだよ!
と、話をしてあげると。。
急に顔が笑顔😀になり。。
だったら、どんな子が産まれて来ても良い🙆。。受け入れられる!
子供の方で、私達を選んで、産まれてくるんだね!
選んでくれたなら、受け入れられる。。
と、その後、すぐ妊娠して、無事出産しました。。
今回、その20代の頃読んだ本を、また読みたくなり、 メルカリで購入。。
その部分を引用してみます。。
引用。。。
子育てが苦手な女性が共通に持っている傾向は、子育てを責任と感じている事です。
「あなたにも責任が半分あるんだから、ちゃんと子供の面倒見てよ」
子供は自分達が作ったものだ。。したがって、自分達で、嫌でも重荷に感じても、自立するまで面倒見なくてはならない。。
だから、男性も半分の責任を負いなさいという訳です。。
しかし、実際は親が子供を作るのではないのです。。子供の方が両親を選んで産まれてくるのです。。生命の誕生は、この世の人間の思惑を超えた所で決定されています。。
子供は必要とあらば、この親から産まれようと、両親を結びつけるのです。。だから、責任という言葉を使うならば、親ではなく、産まれた子供の方にあるのです。。
この事がわかると、自分なんかに子供を上手く育てられるのか?。。とか、自分には親の資格など無いのではないか?。。と、悩む事はなくなるのです。。子供がこの親が良いと産まれて来ているのだから。。昔の人が子沢山だった理由は、この様に、子育てを責任としない、緩い感性が元になっていたからです。。
親はなくとも子は育つ。。そんな感性で、たくさん産んでいったのです。
引用終わり。。。
結婚💒とは、その両親の元に産まれ出たい。子供の魂が引き寄せた縁なのです。
奇形児で産まれるのは、事故では無いのです。。奇形児で産まれるという修行をしたい、子供の魂が、奇形児の自分を見捨てず、愛してくれるであろう縁ある両親を結ばせ、そこに産まれているのです。。
ですから、障害を持って産まれてくる子も、またその両親も、魂レベルが高いからこそなんです。。
高次元な修行を、両親と子供双方でやる運命を、人間の思惑を超えて決定されているという事です。。