人は、本来霊が止まると書いて、霊止(ヒト)なんです。
じゃあ人間て、どういう意味なんでしょう。
語源は知りませんが、霊止に、なる途中、間の存在。。人間 未熟な存在です。
という解釈は納得できるものがあります。
人間は、いつも今が足りないと考えます。
過去が良かった。。またこうなるのが幸福という。常に今に不満を持つ
だから頑張れるんだ。。その通りでしょう。
しかし幸福とは頑張らないと得られないのでしょうか?
特別なものですか? そう思い込んでるだけではないでしょうか?
今、幸福じゃないですか?
神社に行けば、幸福になります様に。。とお願いする。
ありがとうございますではないんですね。
人間の都合で考えた幸福は、例え 努力によってそれを掴み取ったとしても、その達成感に、高揚するのは、ほんのいっとき、その掴み取ったものを、人様の分まで奪い取ったものであるから、今度は、この幸福を、誰かに奪われるんじゃないかと、不安になります。だから成功した人は、その不安から周りをイエスマンで固めるわけですが。
また目標を定めて、スポーツで優勝したとしても、2連覇、3連覇と、新たに目標を持ち続けないと、モチベーションが保てない。
目標を持ち続けてモチベーションを保ってきた人が、引退して、目標を失うと、どうやって幸福感を得ればいいかわからず、また、復帰してくる。。自殺する人もいる。
幸福とは求めるものではないのですね。
求めるものが幸福であれば、皆が求め合い、横取り合戦になってしまうわけです。
仏教でも知足 という言葉があります。
幸福はいつもここにあるんですね
いつも与えられているのです。
それをそれは俺の幸福では無いと、受け入れてないだけ。受け入れる事ができれば、拡がるのですね。
受け入れないから、無い、足りないと思って、違う方向に求め出す。
幸福とは、自分に都合の良い環境ではありません。
むしろ環境に一喜一憂しない安定した心です。
どんな状態にあっても、今が幸福 今がありがたいと思える人が、真の幸福です。
そういう人の周りの人もたちまち幸福になります。
横取りもなく、誰でも可能です。能力も関係ありません。平等です。
樹木希林さんが、病気は神様の贈り物。。と言っていました。
あーゆう言葉は、神様が私を成長させる為に、こういう体験を通してでしか気づけない体験をあたえてくれている。ありがとう。という境地です。
おかげで気付けました。。成長できました。
本当の霊止の喜びは、人に評価される事でなく、魂が成長する事です。
これが悟りです。不動心です。
難しいですが、求めるのでは無く、受け入れる これがコツです。